普遍性を志向するタイプの徳倫理学 |
マーサ・ヌスバム(土橋茂樹訳)
「徳の再生 アリストテレス的伝統における習慣、情念、熟慮」
M.Nussbaum, Virtue revived―Habit, passion,reflection in the Aristotelian tradition. Times Literary Supplement, July 3, 1992.
(c-faculty.chuo-u.ac.jp/~tsuchi/philosophy.transl.1.html)
を読んでみた。
M.Nussbaumの1992年のサーベイ。
英語圏の倫理学が,功利主義とカント主義を代表とする「普遍性をもった啓蒙の理念に基づいた」(あるいは「孤立した個人に基づいた」)倫理学から,「伝統と特殊性に基づいた」(あるいは「協調と配慮に基づいた」)倫理学ーアリストテレスの知恵に学ぶ徳倫理学ーへと転回しつつある。しかし,この動きは政治的保守主義と結びつく恐れを多分にもっている,と指摘されている。
翻訳は幾分硬いが,内容はわかる。
ひとくちに徳倫理学と言っても,2つのタイプがある。
一つは啓蒙派(カント主義,具体的にはロールズだろう)の中心的理念を鋭く批判するもの。マッキンタイヤー「美徳の時代」(1981),「誰の正義,どの合理性」(1988)。ここでは,「道徳的正当化は常に具体的な伝統のなかの規範に内在し,それと相関する」と主張される。このアプローチは,「家族というものの価値」を強調するアメリカの保守政治思想によくフィット,利用されてきた。ヨーロッパではハイデガー思想とぴったり一致,それがゆえに若いドイツの哲学者には不評。
いま一つは,全人類を志向するタイプ。ストア派の場合はっきりしているが,古代ギリシャの哲学者たちはすべて,万人にとって善きものとして徳をとらえていた,と指摘される。
Nussbaumはもちろん後者。「人生における徳の探求は,その探求に従事する者が自らの共同体およびその伝統的な了解事項と相対立するように仕向けることになるだろう」とまとめている。
当然の結論,と思い読んだ。女性をはじめとする社会的弱者を解放しようとするNussbaumが,狭い共同体主義,保守主義にとどまるはずがない。
マッキンタイヤー流共同体主義がファシズムを経験したドイツでうけない,というのもよくわかる。同じ事情をもつ日本でも同じだろう。
学ぶべき要素は多いが,批判の余地も多い。とりあえず警戒モードから入ったが,どこをどのように学ぶかが私にとって今後の課題。普遍性を志向するタイプの徳倫理学なら有望かつ魅力的だ。