レトリックとは |
欧州古代・中世で教養の中核を成していたが、近代に衰退。古代・中世の教育規範である自由七学芸の内の一つ。基本的には演説の技術で、いかに聴衆を納得させるかを目的とするかなり政治的なもの。[2] そのため修辞学では、聴衆の心理操作が大きな位置を占め、さらに、演説をより魅力的に見せるために、身ぶりや発声法なども重要視される。つまり、言語学、詩学、演技論などの総体だった。だが近代ではさまざまな学問に分化し、あくまで言語表現に磨きをかける技術、という領域に押し込められる。
古くはプラトンの著作『ゴルギアス』に雄弁術(レトリケ)を用いる人々が登場し、大きな主題になっている。当時のポリス社会において、法廷や広場(アゴラ)などで人々を説得する雄弁家という職業が存在し、ソフィストとも呼ばれた。ソクラテスは彼らに対して一問一答で臨み「議論をしている当人をこちらの支持する証人たらしめる」のが目的であるとして民衆に訴える雄弁術とは一線を画した。
しかし、プラトンの弟子であるアリストテレスは、プラトンとは異なり、この雄弁術・弁論術(レトリケ)を、弁証術(ディアレクティケ)と相通じる技術として捉え、先行する専門書の内容を、より広い観点から体系化した、そのものずばり『弁論術』という名の著作を残している。
修辞学が理論づけられた一学問として体裁を整えるようになったのは、古代ローマのキケロ『弁論家について』とクィンティリアヌス『弁論家の教育』の力が大きく、レトリックの五分野、発見・配列・呈示・記憶・演示が確立したのもこの時代である。特に、「発見」は主題を選別し決定するという技法を指し、トポス(演説のための常套句)を収集し、演説のときの助けにするというのが欧州中世の教養の大部分を占めた。
(Wikipedia)
レトリックとは何か,が気になって,Wikipediaで確認。
中世以来のリベラル・アーツ(自由七科)の一つということは承知していたが,「修辞学」というわかりにくい訳語に邪魔され気味だった。
要は,「弁論・叙述の技術」についての学問。
今日ではロジカル・シンキングという名前で通っているものとほぼ同じと見てよさそうだ。
説得力あるプレゼン,文書作成の技術を問題にする。
実用的な学問だが,へたをすると「トポス(演説のための常套句)を収集」しておしまい,ということになりかねない。
魅力的な話術,プレゼン術となると,良質な落語や漫才,演説を集めて,聴くというのも守備範囲に入ってくる。
四角四面のプレゼンでは飽きる。
ノーベル賞受賞の山中さんもプレゼンにはジョークを必ず入れるとのこと。
古代の「雄弁術」(今日言うデイベート)は,相手を圧倒する技術。
これは北朝鮮とか中国共産党が使うテクニック。
こちらはノーサンクスである。
自由人はそのようなものを使わない。
デイベートにおちないレトリックが大事。