Blumenfeldsによるデカルトの夢の議論の再構成 |
それをDavid and Jean Blumenfeldが再構成している(1978)。
次はJim Pryorによる整理。
1. 覚醒している経験と経験的に識別できない夢を私はこれまで何度も見てきた。(前提)
2. だから,私の経験の定性的な特徴は,私がいま夢を見ているのではないことを保証しない。
3. もし私の経験の定性的な特徴が私がいま夢を見ているのではないことを保証しないのならば,私がいま夢を見ているのではないことを私は知ることができない。(前提)
4. よって,2と3から,私がいま夢を見ているのではないことを私は知ることができない。
5. もし私がいま夢を見ているのではないことを私は知ることができないのならば,私はいつも夢を見ているのではないことを私は知ることができない。(前提)
6. よって,4と5から,私はいつも夢を見ているのではないことを私は知ることができない。
7. もし私がいつも夢を見ているのではないことを私は知ることができないのならば,私の経験に基礎を置く,外部世界に関するいかなる信念についてもそれが真であると私は知ることはできない。(前提)
8. よって,6と7より,私の経験に基礎を置く,外部世界に関するいかなる信念についてもそれが真であると私は知ることはできない。(結論)
これはあくまで,Blumenfeldsによるデカルトの夢の議論の再構成または(正確に言えば)翻案。
デカルトは,夢の議論だけではすべての知識を排除できない,としている(残存する知識を一掃するために登場させるのが「悪霊」)。
文献
Blumenfeld, David and Blumenfeld, Jean Beer, ‘Can I know that I am not dreaming?’, in: Hooker, Michael, editor, Descartes: Critical and interpretative essyas (Baltimore: John Hopkins, 1978), pp. 234–255.
(http://www.jimpryor.net/teaching/courses/epist/notes/blumenfelds.html)
(Jean Beer Blumenfeld,1945-95)