カント「プロレゴメナ 」(岩波文庫)序文 |
前回読んだのが1979年のようだから、35年ぶりということになる。
若い頃書き入れたメモやサイドラインが見えるが、多分全然わからずに読んでいたと思う。
さすがに、今回はほぼ完全にわかった。
カントにとっては、『純粋理性批判』の第1版(A版)後に書かれ、その第2版(B版)に先立つ著作とのこと。
『純粋理性批判』の第1版には、「面白くない」、「晦渋だ」等の批判が浴びせられたようだ。
本書が、それに応えて「ランボー、怒りの脱出」風の心持で書かれた著作であることがよくわかる。
ヒュームによる形而上学(哲学と考えてよいだろう)批判を知ったことがきっかけで『純粋理性批判』が書かれたことがはっきり述べられている。
「ロックおよびライプニッツの試論このかたーと言うよりも、むしろ形而上学の発生このかた、そしてまた形而上学の歴史を遡り得る限り、この学の運命に関して起きた最も決定的な出来事といえば、デービッド・ヒュームが形而上学に加えた攻撃であろう」ー大した評価である。
若い頃カントを読んでいて「演繹」という概念がわからなかった。
いまはわかる。彼が想定する「純粋悟性」から論理的に導くことだ。
具体的には、原因ー結果の概念や性質、量等の「純粋悟性概念」(「カテゴリー」)が、経験から形成されたものではなく、100%「純粋悟性」に起源をもつものであることを証明することだ。昔どなたかそう説明いただければ大いに助かっただろうに、と思う。
「こうしてヒュームの提出した課題は余すところなく解決せられた」(p.130)とあり、カントが(「怒りのランボー風」血気盛んであるとともに)自信満々であったことも印象的。
追記
ヒュームの批判を形而上学史上空前のものと評価するカントだが、
私の考えでは、ヒュームは
(1) 特定のAタイプの事象は必ず特定のBタイプの事象を引き起こす
という命題を問題にし、そこに現れる「必ず」を攻撃した。この命題に含まれる必然的結合に根拠はない、というのが彼の指摘。
カントはヒュームの議論を
(2) 結果には必ず原因がある(因果律)
に対する攻撃と解釈、この意味での「必ず」の擁護を試みた。
カントは、(1)の必然性の破壊は(2)の必然性の破壊を含意する、そして(2)の必然性こそが伝統的形而上学のコア、と考えたのだろう。
かりに(2)に対するカントの擁護が成功していたとしよう。
それは、必ずしも(1)を擁護しない。
(2)が真でも、それは(1)が真であることを含意しない。
アポステリオリな命題のためにはデータ(経験)が必要であることをカントは認めている。
それはすなわち、(1)の必ずには説明が求められることを意味する。
ヒュームは(1)の「必ず」に説明を求めている。
カントはそれに答えていない。求められてはいない(2)の「必ず」の説明のための理論をつくった。
追記
カントは、ヒュームの形而上学(哲学)批判(反哲学!)を史上空前のものと評している。近年の「反哲学」文献を読むと、ほとんどすべてが出発点をニーチェに置いている。「反哲学」のロジックはヒュームに、さらには古代のピュロン主義者に出発点があるのではないか。