2015年 07月 29日
超訳「般若心経」 |
苫米地 英人(著)、PHP文庫、を一読。次は忘備録風メモ。
1.定説とは異なり、般若心経は中国で作られ、その後、サンスクリット語訳された可能性が高い(作者は玄奘か)。
1992年、アメリカのジャン・ナティエ(Jan Nattier)が、鳩摩羅什訳『摩訶般若波羅蜜経』などに基づき玄奘が『般若心経』を書き、それを後にサンスクリット訳したという偽経説を提唱した。
Jan Nattie:"The Heart Sutra: A Chinese Apocryphal Text?", Journal of the International Association of Buddhist Studies, vol. 15, no. 2 (1992), 153-223
(偽経とは?:疑経,疑似経典ともいう。仏教がインドから中国に伝わると,道教徒と仏教徒が対抗して争い,みずからの優位性を立証しようと,両者の側で多くの経典が偽作された。あるいはまた,仏典漢訳の際に,中国思想を多く盛込んだ経典も出現した。)
釈迦:「解脱のためになり、繋縛(解脱の対語)にならないものは何でも私の教えである」
2.般若心経ははじめ「般若心」と呼ばれていた: 「心」とは「マントラ」(呪文)のこと、般若心経の最後の部分にあらわれるマントラはシュメール由来か(著者説)。釈迦:マントラを否定
3.「空」は「有」(絶対的にあるもの)と「無」(「有」の否定)を包摂する上位概念。「空」(ku)=「無」(emptiness)、ではない。無:道教の影響(無為自然)、「道」(タオ)とは「それだけであるもの」(著者は西洋哲学の「アプリオリ」にあたると書いている。「実体」にあたると言ったほうがよいだろう)。釈迦:「この世に未来永劫不変な唯一絶対のものはない」(実体否定)
4.般若心経は、道教の影響か、いくつかの箇所で「空」を下部概念の「無」に置き換える間違いをおかしている。これを修正する。
例:「色即是空 空即是色」を「色即是無 無即是色」と修正
5.空の哲学の受け取り方:「人生はどうせ空なのだから、何をやったって同じ」はダメ。「自分自身も「空」なのだから、いつでも好きな自分になれる」というのが正しい「空」の解釈
*わかりやすい文章に感心。5には同意。般若心経が要約している空の哲学は、人生は自由につくれるのだ、という肯定的なメッセージとしてうけとるべし、は大変よい。マントラ、歌、詩として中国語の語感にしたがった語の選択がなされた、という要素もあったかもしれない。「色即是空」がなくなるのは困る。いつものことだが、ところどころにあわわれる釈迦のことば(もちろんそのように伝えられているもの)に感心。さすが仏陀、自在の人物。後世の者たちの追随を許さない。釈迦に比べればみな石頭。
追記
修正、「添削」後の<超訳「般若心経」>は第4章にまとめられている。読んでみた。さすがに「超」簡単。ひらたく言えば「すべては空だ」である。こんなに簡単明快でよいのだろうか、もっとゴツゴツしていないと「ご利益」が消えてしまうのではないか、などと心配になる。歌、呪文なのだから、論理的である必要はない、ウソも方便ではないが、言い間違えなど気にしない、リズムが大事、という考えでもよい気がする。
1.定説とは異なり、般若心経は中国で作られ、その後、サンスクリット語訳された可能性が高い(作者は玄奘か)。
1992年、アメリカのジャン・ナティエ(Jan Nattier)が、鳩摩羅什訳『摩訶般若波羅蜜経』などに基づき玄奘が『般若心経』を書き、それを後にサンスクリット訳したという偽経説を提唱した。
Jan Nattie:"The Heart Sutra: A Chinese Apocryphal Text?", Journal of the International Association of Buddhist Studies, vol. 15, no. 2 (1992), 153-223
(偽経とは?:疑経,疑似経典ともいう。仏教がインドから中国に伝わると,道教徒と仏教徒が対抗して争い,みずからの優位性を立証しようと,両者の側で多くの経典が偽作された。あるいはまた,仏典漢訳の際に,中国思想を多く盛込んだ経典も出現した。)
釈迦:「解脱のためになり、繋縛(解脱の対語)にならないものは何でも私の教えである」
2.般若心経ははじめ「般若心」と呼ばれていた: 「心」とは「マントラ」(呪文)のこと、般若心経の最後の部分にあらわれるマントラはシュメール由来か(著者説)。釈迦:マントラを否定
3.「空」は「有」(絶対的にあるもの)と「無」(「有」の否定)を包摂する上位概念。「空」(ku)=「無」(emptiness)、ではない。無:道教の影響(無為自然)、「道」(タオ)とは「それだけであるもの」(著者は西洋哲学の「アプリオリ」にあたると書いている。「実体」にあたると言ったほうがよいだろう)。釈迦:「この世に未来永劫不変な唯一絶対のものはない」(実体否定)
4.般若心経は、道教の影響か、いくつかの箇所で「空」を下部概念の「無」に置き換える間違いをおかしている。これを修正する。
例:「色即是空 空即是色」を「色即是無 無即是色」と修正
5.空の哲学の受け取り方:「人生はどうせ空なのだから、何をやったって同じ」はダメ。「自分自身も「空」なのだから、いつでも好きな自分になれる」というのが正しい「空」の解釈
*わかりやすい文章に感心。5には同意。般若心経が要約している空の哲学は、人生は自由につくれるのだ、という肯定的なメッセージとしてうけとるべし、は大変よい。マントラ、歌、詩として中国語の語感にしたがった語の選択がなされた、という要素もあったかもしれない。「色即是空」がなくなるのは困る。いつものことだが、ところどころにあわわれる釈迦のことば(もちろんそのように伝えられているもの)に感心。さすが仏陀、自在の人物。後世の者たちの追随を許さない。釈迦に比べればみな石頭。
追記
修正、「添削」後の<超訳「般若心経」>は第4章にまとめられている。読んでみた。さすがに「超」簡単。ひらたく言えば「すべては空だ」である。こんなに簡単明快でよいのだろうか、もっとゴツゴツしていないと「ご利益」が消えてしまうのではないか、などと心配になる。歌、呪文なのだから、論理的である必要はない、ウソも方便ではないが、言い間違えなど気にしない、リズムが大事、という考えでもよい気がする。
by omg05
| 2015-07-29 08:38
| religion
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