2008年 09月 26日
「確実性について」と反懐疑論4 |
C
懐疑論者との論争でやってはいけないこと
1) 懐疑論者は馬鹿げた主張をしている、と非難
2) (疑われている命題について)懐疑論者と少なくとも同等の支持理由を自分はもつ
なぜだめ?
3) われわれ自身の概念を使用。懐疑論者は馬鹿だということは自分を馬鹿だというのと同じ
4) 2階の懐疑論を生む:懐疑論者でない理由はない(懐疑論は真でありうる)。
この論点をめだたたせる例
a ‘Moorean’ response(simple-minded response、such irrelevant responses)
「直観的にみて、われわれは多くの日常的命題を知っている((S3))。そして、閉包原理は直観的にて正しい((S2))。とすると、懐疑的問題を処理するには、懐疑的仮説の否定を知りえないことを単に否定すればよいだけだ((S1)を否定)。閉包原理を否定的に使い日常的知識を否定するより肯定的に使うことについて、懐疑論者と少なくとも同等のより理由がある。さらに、馬鹿げた立場を提案しているのは懐疑論者のほうである。だから、他の条件が同じなら、説明責任は我々ではなく懐疑論者の肩にあるはずだ。したがって、我々はいまBIVではないというような反懐疑的命題を知ることが出来るというのも不可解だが、少なくとも、我々はほとんど何も知らないと考えるより不可解ということはない」
批判
「懐疑論者」は自分の心にいる、論敵として懐疑論者がどこかにいるわけではない
The ‘sceptic’ is our own intellectual creation, the product of our discovery that our beliefs about knowledge are inconsistent in the way described above.
だから、懐疑論は馬鹿げているということは天につばするようなもの。
最低限必要なこと
It is not enough, then, to simply remark that the sceptical conclusion is absurd and move on, or, relatedly, simply deny one of the three claims listed above. What is needed, at the very least, is some explanation of why this claim is false, and why, in particular, we might have thought that it was true in the first place.
*‘Moorean’ responseを真っ向から否定。それは「単細胞的応答」、「見当外れの応答」だ、と言っている。
*4) 2階の懐疑論をうむ ?
いろいろな命題について、われわれはそれらを「知らない」と主張するのが懐疑論。懐疑論は正しい、それとも間違っている?ということを問題にするとしよう。懐疑論が間違っていることをわれわれは知らない(もしかすると正しいかもしれない)、という立場がありうる。これは懐疑論の懐疑論・・・エンドレス。だから、やるべきことは、命題間の衝突(パラドクス)の解除。
このような立場のようだ。
懐疑論者との論争でやってはいけないこと
1) 懐疑論者は馬鹿げた主張をしている、と非難
2) (疑われている命題について)懐疑論者と少なくとも同等の支持理由を自分はもつ
なぜだめ?
3) われわれ自身の概念を使用。懐疑論者は馬鹿だということは自分を馬鹿だというのと同じ
4) 2階の懐疑論を生む:懐疑論者でない理由はない(懐疑論は真でありうる)。
この論点をめだたたせる例
a ‘Moorean’ response(simple-minded response、such irrelevant responses)
「直観的にみて、われわれは多くの日常的命題を知っている((S3))。そして、閉包原理は直観的にて正しい((S2))。とすると、懐疑的問題を処理するには、懐疑的仮説の否定を知りえないことを単に否定すればよいだけだ((S1)を否定)。閉包原理を否定的に使い日常的知識を否定するより肯定的に使うことについて、懐疑論者と少なくとも同等のより理由がある。さらに、馬鹿げた立場を提案しているのは懐疑論者のほうである。だから、他の条件が同じなら、説明責任は我々ではなく懐疑論者の肩にあるはずだ。したがって、我々はいまBIVではないというような反懐疑的命題を知ることが出来るというのも不可解だが、少なくとも、我々はほとんど何も知らないと考えるより不可解ということはない」
批判
「懐疑論者」は自分の心にいる、論敵として懐疑論者がどこかにいるわけではない
The ‘sceptic’ is our own intellectual creation, the product of our discovery that our beliefs about knowledge are inconsistent in the way described above.
だから、懐疑論は馬鹿げているということは天につばするようなもの。
最低限必要なこと
It is not enough, then, to simply remark that the sceptical conclusion is absurd and move on, or, relatedly, simply deny one of the three claims listed above. What is needed, at the very least, is some explanation of why this claim is false, and why, in particular, we might have thought that it was true in the first place.
*‘Moorean’ responseを真っ向から否定。それは「単細胞的応答」、「見当外れの応答」だ、と言っている。
*4) 2階の懐疑論をうむ ?
いろいろな命題について、われわれはそれらを「知らない」と主張するのが懐疑論。懐疑論は正しい、それとも間違っている?ということを問題にするとしよう。懐疑論が間違っていることをわれわれは知らない(もしかすると正しいかもしれない)、という立場がありうる。これは懐疑論の懐疑論・・・エンドレス。だから、やるべきことは、命題間の衝突(パラドクス)の解除。
このような立場のようだ。
by omg05
| 2008-09-26 14:10
| wittgenstein
|
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