ぶらソフィア
2024-02-20T12:25:01+09:00
omg05
備忘録
Excite Blog
ぶらソフィア3
http://omg05.exblog.jp/30242645/
2024-02-02T13:27:00+09:00
2024-02-20T12:25:01+09:00
2023-02-08T08:33:32+09:00
omg05
philosophy
Hegel, Vorlesungen uber die Geschichte der Philosophieについて説明してください
"Lectures on the History of Philosophy" by Georg Wilhelm Friedrich Hegel is a comprehensive survey of Western philosophical thought from the ancient Greeks to Hegel's own time. The lecture series covers major figures and movements in the history of philosophy, including Plato, Aristotle, the Stoics, the Epicureans, the Neo-Platonists, the Scholastics, the Renaissance, the Enlightenment, and Romanticism. Hegel provides a critical evaluation of each philosopher and their contributions to the development of philosophical thought. He also places these philosophers within the larger context of historical development and argues that the history of philosophy is a necessary part of the overall process of human self-discovery and the realization of absolute Spirit. The "Lectures on the History of Philosophy" are considered an important contribution to the study of the history of philosophy and have been widely read and studied by scholars and students of philosophy.
「哲学史講義」は生前出版された本ではなく、いくつかの大学で行われた哲学史に関する10回の講義(ヘーゲルの原稿や学生のノート)からの再構成とのこと。とりあえず古代懐疑論の部分を読んでみた。詳細、感心。一読では意味がとれない部分(とくにヘーゲルの哲学が入った部分)も多かったが、「精神現象学」と比べれば断然「ふつう」で、好感をもった。意識が目覚めていく過程として哲学史を記述しようとしていて、これこそが精神現象学ではないか、などと思った。私がレファレンスとしているのはラッセル「西洋哲学史」だが、こちら(長谷川宏訳、河出書房、2016年)もレファレンスの資格十分と感じる。19世紀前半に書かれたもので、「哲学史」の最初のものの一つだろうが、すばらしい。
読んだ範囲でとくに印象に残った部分は、カント批判主義への批判。「一般に物自体や絶対的なものは知られない、とする批判主義は、物自体をとらえたとする知をすべて独断主義と見なしますが、それは批判主義そのものが、単一の自己意識たる自我と存在とを対立させ、それぞれをそれ自体で存在するものとしながら、両者の統一は絶対に不可能だと断ずるひどい独断主義だからです」(pp.175-176)。なるほどヘーゲルはこういう立場か。
2/19
ドイツ観念論全体がよくわからない。野田又夫「西洋哲学史」フィヒテ、シェリング、ヘーゲルを読む。明晰な記述に感心。「かれ(ヘーゲル)が哲学史の祖である」とある。
3/05
御子柴「カント哲学の核心」から(カントが自身の「超越論的観念論」もしくは「批判的観念論」を説明している箇所。バークリーの「独断論的観念論」、デカルトの「蓋然的観念論」(「我思う、ゆえに我あり」を疑うことのできない出発点としつつも、空間中に物体が存在することは疑わしいとする立場)と区別しようとしている)
「私はもちろん、私たちの外に物体があることを認める」
「というのは、事物の現実存在を疑うことなど、私にはまったく思いもよらないことだったからである」
3/13
遅まきながら、野田又夫「デカルト」(岩波新書)を読む。放送講演原稿が元になっており、読みやすい。全部で25章あるが、18章「神」までで私にはよいかな。23章「心身の問題」に、「精神は舟人が舟に乗っているような具合に身体に宿っているだけなのではない」という言葉が紹介されている。「アリストテレス以来の比喩でいわれている」とあるから、アリストテレスの「魂について」が初出なのだろうが、デカルトも「方法序説」や「省察」でそのように書いているとある。「機械の中の幽霊」の比喩を思い出し、おもしろかった。機械の中の幽霊のようにイメージしてはいけないよ、がデカルトの本意だったことになる。しかし、あなたの思想を追っていくとそうイメージせざるをえないですよ、が後世の指摘か。
3/14
坂本尚志「バカロレアの哲学」日本実業出版社、2022年、を読む。フランスのリセ(高等学校)が哲学教育に力を入れているのは有名。それをわかりやすく解説してくれている。リセ哲学教育の最後は哲学論文(デイセルタシオン)作成だが、「思考の型」というキーワードを使って説明。試験ではどのような問題が出るのかに興味があったが、たくさん例を挙げてくれていて参考になる(本書で取り上げられているのは、1.労働はわれわれをより人間的にするのか。2技術はわれわれの自由を増大させるのか。3権力の行使は正義の尊重と両立可能か)。論文作成において求められる語数だが、Chat君に尋ねたところ、「バカロレア試験の小論文は、一般的に150-350語程度の短いエッセイが求められます。これは、英語で書かれた場合、約300-700語程度に相当します。ただし、試験の具体的な指示によって異なる場合がありますので、必ず試験案内を確認してください」とのこと。4時間かけて書くそうだ。私は米国流のエッセイの書き方指導をしているが、バカロレア小論文では、主張に対する反対意見の吟味が不可欠とされているところが異なるようだ。バカロレア小論文では結論は「結論部」に置かれるようだ。米国流のエッセイは「米国版ゆとり教育の結果」という説明もあった。俳句は最小詩型の一つだが、米国流のエッセイは最小論文として意義はあると思う。最小形からの発展形の一つとして仏流デイセルタシオンを位置づけることもできよう。
中世スコラ哲学の授業形態を思い出した。「討論」(Disputatio)である。トマス・アクィナスの「神学大全」はそれに沿って書かれている。次は山田 晶訳からの抜き書き(アレンジあり)。
一般型
問題 AはBであるか(AはBであると言いたい)AはBでないように思われる。そのわけは、1(異論1)2(異論2)しかし反対に…答えていわなければならない: AはBである…それゆえ異論1には次のように言わねばならない異論2には次のように言わねばならない
例問題 神は存在するか神は存在しないように思われる。そのわけは異論1:悪が存在する。ゆえに神は存在しない。異論2:しかし反対に、「出エジプト記」では、神御自身の口から、「われは在りて在る者なり」といわれている。答えて言わなけばならない。神が存在することは、5つの道により示されうる。1 第一の道(第一動者)2345それゆえ異論1には次のように言わねばならない異論2には次のように言わねばならない
主張に対する反対意見(異論)を先に挙げたあと、主張を述べる。そしてその主張の観点から反対意見の問題を指摘する、というスタイル。
*Chat君に「討論」についてたずねてみた。
Chat君中世の大学においては、討論(Disputatio)と呼ばれる授業形態が一般的でした。討論は、講師がある主題に関する問題を提示し、学生たちがそれについて意見を交換する形式で行われます。一般には、以下のような手順で進められます。 問題の提示 講師がある主題に関する問題を提示します。例えば、「神の存在は証明できるか」といった問題が提示されることがあります。 引用の読み上げ 問題に関する引用文献を読み上げます。これにより、学生たちは討論の出発点となる情報を共有することができます。 質問者の選定 講師が質問者を選びます。質問者は、主題について質問を出し、その質問に対して他の学生たちが答える形式で進められます。 議論 質問に対して答える形式で、学生たちが議論を行います。このとき、相手の意見を尊重し、正確で論理的な議論が求められます。 結論の導出 討論の終盤には、まとめ役がまとめを述べ、討論の結論を導き出します。 討論は、知識を深め、議論力を養うための非常に重要な授業形態として、中世の大学で広く採用されていました。また、討論を通じて学生たちは、相手の意見を尊重するという大切な倫理観念を身につけることが期待されました。討論は、中世大学の教育の特徴のひとつであり、現代でも哲学や言語学などの分野で活用されています。
3/15 ラッセル(高村夏輝訳)「哲学入門」(ちくま学芸文庫)を入手。昔(40数年前!)中村秀吉訳で親しんだ本。第1章現象と実在、第6章帰納について、がすっきりしているというのが私の記憶。他は標準的ではなく(執筆当時のラッセル自身の哲学の展開)難解と思った。標準的な第1章は哲学入門としては最良と言えると思う(忙しい人はこの章だけ読んでもよいかな)。昔印象的だった「参考文献」を久しぶりに見た。入門を終えた後は、古典を直接読むことをラッセルは推奨している。プラトン「国家」、デカルト「省察」、スピノザ「エチカ」、ライプニッツ「モナドロジー」、バークリ「ハイラスとフィロナウスの三つの対話」、ヒューム「人間知性研究」、カント「プロレゴメナ」があげられていた。納得の選択。
3/17エンゲルス(森宏一訳)「フォイエルバッハ論」(新日本出版社、1998年)ー正式には「ルートヴィッヒ・フォイエルバッハとドイツ古典哲学の終結」(1888年)ーを読む。ヘーゲルに対するバランスのよい、現代的と言ってもよい見方が述べられている。私はマルクス主義者ではないが、有益な読書だった。19世紀哲学がよくわかる著作、コンパクトであるのもよい。私の「西洋哲学史講義」もここまで行きたいものである。ラッセルの「参考文献」リストにこの本を追加してもよさそうだ。よくよく考えれば、私にとってもっと若い時期に目を通すべき本だった。
3/20下村寅太郎「来るべき時代の設計者」(「ライプニッツ」中公クラシック所収)を読む。「ライプニッツ」はよい編集の本。大学の先輩の方々が編んでいる。不勉強だったので求めた「モナドロジー」だったが、コンパクトなのに驚いた。「来るべき時代の設計者」は、碩学による魅力的な文体でライプニッツの生涯と思想が綴られている。最後の段落でヘーゲルとのつながりがわかり勉強になった。野田又夫の「カント」における解説同様、碩学による解説は参考になる。他にもあろう。それらをネット上に配信してもらえればよいのだが・・それが無理なら、それらを集めた本を出版してもらえれば助かる。現在のWikipedia記事よりクオリテイはだいぶ上になりそうだ。
仕えていたヴェルフェン家の家系史の編纂の準備のために、ライプニッツは1687年から3年にわたる旅行をしている。「ローマでは教皇宮廷、学界、とくにイエズス会派の人たちと往来し、イエズス会派の中国伝道に深い興味をもった。彼の中国に関する知識はこれが機会になった。「最近の中国事情」(1697)や中国哲学の概要などの著作がある。これらにおいて、彼の中国に関する知識の豊富さと深さを推察することができる」(28-29ページ)。「とくにイエズス会派の人たちと往来し、イエズス会派の中国伝道に深い興味をもった」は私にとって興味をひく記述。陽明学あるいは心学のことをライプニッツは知っていた(無理のない推測だろう)。ライプニッツに先立つデカルトについても同じようなことがあったと推測しているのだが、これについては今のところ証拠なし。
2024/1/09
「秘本哲学講義録」の哲学各論版を別ブログにアップしました。https://philia17.blogspot.com/すべて「工事中」です。ご批判歓迎です。
2/02
木田元「反哲学入門」(新潮文庫、2010年)を読む。以前ざっと読んだから再読。興味深く、参考になった(とくに「第5章「反哲学」の誕生」)。
「反哲学」は後期メルロー・ポンティが使った言葉。しかし、その概念を実質的に使ったのはニーチェ。「反哲学」というときの「哲学」はプラトンの哲学、プラトニズムを指す(ニーチェも「哲学」をあらわす言葉として「プラトニズム」を使っていた)。超自然的原理(イデア等)を立てて自然を見ていくのが「哲学」。ニーチェは、彼の時代のヨーロッパの病根が哲学つまりプラトニズムにあると考え、それを乗り越える思想を提唱しようとした。乗り越えのための基盤になると彼が考えたのはソクラテス以前の哲学者たちの存在観。かれらは、万物を(静的なものではなく)「成り出でたもの」、「生成してきたもの」と見ていた。ニーチェの「反哲学」の思考を受け継いだのがハイデガー、メルロー・ポンティ等の現代の思想家たち。
木田さんは、メルロー・ポンティの用語を受け継ぎ、「反哲学」という語を使っているが、正確には「反プラトニズム」かな。プラトニズムが西洋哲学全体をカバーする、もしくはそのコアであると考えて「反哲学」としているようだ。反プラトニズムなら19世紀のニーチエを待たずに古代ギリシャにある。エリスのピュロン以来の伝統である。
2/18
コロナ陽性、2度目。2日前から隔離、寝たきり生活に入る。徒然なるままに、納富信留さんの講義動画「史上最大の問題作!全米大学生の必読書、プラトン『ポリテイア(国家)』とは」等をはしごする。プラトンの『ポリテイア(国家)』を読む、という講義なので、二つのデータを使ってこの本の重要性が指摘されている。
一つは英国「ザ・ガーディアン」紙の人気投票。ただし2001年のもの。原記事があった。それを紹介。
The 10 greatest philosophical works
1 Plato, The Republic
2 Immanuel Kant, The Critique of Pure Reason
3 Charles Darwin, The Origin of Species
4 Aristotle, The Nicomachean Ethics
5 Rene Descartes, Meditations on First Philosophy
6 Ludwig Wittgenstein (Philosophical Investigations)
7 Aristotle, Metaphysics
8 David Hume, An Enquiry Concerning Human Understanding
9 Friedrich Nietzsche, Beyond Good and Evil
10 Thomas Aquinas, Summa Theologica
いま一つは「全米トップ10の大学」で読まれている哲学書トップ10。1位に「国家」が入っている。2位がホッズズの「リヴァイアサン」。
英米の大学で「国家」が学生が読むべき本として最重要視されていることがわかる。50年前の自分に対し、どの哲学書を読むことをすすめるだろうか。国家(プラトン)、形而上学(アリストテレス)、神学大全(トマス・アクイナス)、省察(デカルト)かな。
追記
10年後の「ザ・ガーディアン」紙の同様の企画
Philosophy 12・The Symposium by Plato (c380 BC)・Meditations by Marcus Aurelius (c180)・Essays by Michel de Montaigne (1580)・The Anatomy of Melancholy by Robert Burton (1621)・Meditations on First Philosophy by Rene Descartes (1641)・Dialogues Concerning Natural Religion by David Hume (1779)・Critique of Pure Reason by Immanuel Kant (1781)・Phenomenology of Mind by GWF Hegel (1807)・Walden by HD Thoreau (1854)・On Liberty by John Stuart Mill (1859)・Thus Spake Zarathustra by Friedrich Nietzsche (1883)・The Structure of Scientific Revolutions by Thomas Kuhn (1962)
2/20
哲学は西洋の偉大な文化遺産、人類の見てきた夢。音楽、絵画、数学と同様。現代の人間の教養の基盤。それを学びたいとなったとき、どこから始めるか。私の場合は五里霧中、右往左往の中、ラッセル「哲学入門」の「帰納の問題」の章を読み、「一寸先は暗闇」は受け入れがたい結論と感じ、その反駁から始めた。その前に、「存在と時間」や「純粋理性批判」はかじったものの、?。大体「純粋犠牲概念の演繹」って何?「演繹って?」となって、実質的な哲学事始めはその論駁の試み。その後、「横道」に逸れ幾星霜。還暦を過ぎてから、その突破口から哲学全体を理解しはじめた。1点から始めて全体を見ていく、というやり方。人により出発点は異なるだろうが、1点突破は有効なやり方だと思う。全体を理解してから部分を理解していくというやり方もあろうが、私には全体を理解する機会がなかった。哲学史の本も何冊か読もうとしたが、私には退屈だった。
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イーハトーブの投手
http://omg05.exblog.jp/30542871/
2023-12-21T22:26:00+09:00
2024-01-02T13:28:15+09:00
2023-12-21T22:26:02+09:00
omg05
ニュース
大谷は、アメリカンリーグホームラン王(44本)、MVP受賞(2度目)で2023年のシーズンを終え、FAに。移籍先が注目されていた。今朝、ドジャース移籍という発表があった。昨日まではブルージェイズ入りと言われていたから、驚いた。10年7億ドル(約1015億円)の破天荒な契約。2度目のTJ手術を受けたから来季は打撃のみとなるが、大谷は敢然とページをめくった。賢明な選択。かつての野茂ファンとしては、彼は「第2の野茂」。宮沢賢治ファンとしては「イーハトーブの投手」(大谷は花巻東高出身)。「雨ニモマケズ」投げ、打ち、走る好青年に期待。
12/21
大谷のドジャース移籍劇に際してはMLBの歴史に残りそうな「事件」があった。
秘密裏に行われていた契約交渉の最後の段階で、ベテラン記者から、「大谷は早ければ今日中にトロント・ブルージェイズと契約することになりそうだ」、(契約のため)プライベートジェットがアナハイムからトロントに向かっている、というつぶやきがあった。このとき実際にプライベートジェットがアナハイムからトロントに向かって飛行しており、知らせを聞いた数千人がこの飛行機を追跡することになった。この展開がドジャースファンを極度の不安に陥れ、ジェイズファンをエキサイトさせた(最後の2日間、大谷獲得レースで大本命ドジャースを抜き、ブルージェイズが最有力に躍り出たと報道されていた)。
時を置かずこれが誤報であったことが、当のベテラン記者から、謝罪とともに発表された。プライベートジェットに乗っていたのはトロントのビジネスマンと彼の5歳の男の子だった。この発表は多くのジェイズファンの心を折った。ドジャース移籍が大谷自身によりあきらかにされたのは翌日だった。数日後、大谷のドジャース入団会見が開かれた。そこでアメリカの記者から、契約交渉時何度か大谷とともに映像にあらわれた愛犬の名前が問われた。「デコイ(decoy)」(日本名が「デコピン」)だった。英語のデコイはおとり、敵を欺瞞して本物の目標と誤認させる目的で展開する装備を意味する。一連の騒動に関わったアメリカの記者たちがプライベートジェットを思い出しニヤリとしたのは言うまでもない。もちろん大谷と愛犬には何の意図もなかった。期せずして起きた悲喜劇だった。
12/22
オリックスからFAの山本由伸、ドジャースと契約合意というニュース。12年3億2500万ドル(463億円)。ヤンキース入りを予想していたので驚いた。山本をどちらが獲得するかで来季のWシリーズの結果が変わって来るかな、とは思っていた。ビューラー(29)、グラスノー(30)、山本(25)のローテーションは魅力的。大谷と契約すれば、いろいろな選手がもれなくついてくる、と思っていたが、一部現実化した。いずれ佐々木朗希も・・
山本の入札価格が上がって、エース・コールを超えるオファーをヤンキースは出せなかったようだ。やむをえないところかな。
大谷はエンゼルスのことを気にしていて、できれば再契約したいと考えていたようだ。大谷は7億ドルの契約金のほとんどを後払いでよい、浮いたマネーを選手獲得のために使ってもらいたい、という提案を各チームに持ちかけていたようだ。最後の段階でエンゼルス・モレノオーナーはそれを受け入れなかったもよう。彼はチームを強くしようという意志、そのための長期計画をもっていなかった。トラウトや仲のよかった若手選手たちが気になるが、ドジャース選択はやむをえぬ決断。
来期以降のドジャースのゲームはMLB最高の見物となった。ドジャースにヤンキースをはじめとする「刺客」が次々に打ちかかる(そして撃破されていく)、ということになるかな。
12/28
驚異の3年間「イーハトーブの投手」が2021年から3年間にあげた記録は次のものです。リーグ内打撃ランキング: 22三塁打、55敬遠がリーグ1位、124本塁打、228長打、OPS.964、947塁打、259四球がリーグ2位、出塁率.379、295得点はリーグ4位、290打点はリーグ8位
投手成績:74先発登板、34勝16敗、542奪三振、防御率2.84(米データ会社「コーディファイ・ベースボール」による)先発投手がリーグのホームラン王になるのもそうですが、投打あわせて破天荒な成績であり、MLB史上「驚異の3年間」と言ってよいでしょう。さすが「イーハトーブの投手」です。
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脳にチップを埋め込み、コンピューターと人間を統合
http://omg05.exblog.jp/30466251/
2023-10-12T09:51:00+09:00
2023-10-12T09:51:38+09:00
2023-10-12T09:51:38+09:00
omg05
哲学的人間学
脳にチップを埋め込み、コンピューターと人間を統合 イーロン・マスクの新ビジネス 2023/10/09
(https://www.dailyshincho.jp/article/2023/10090556/?all=1)
「治験の対象は頸椎や脊髄損傷、あるいは筋萎縮性側索硬化症(ALS)の患者さんです。つまり、意識があるものの体が動かせない人がコンピューターのカーソルなどを動かして、意思表示できるようにする。また、脳の情報をリアルに把握できることから、いずれは、うつ病や統合失調症の治療にも応用したいとしています」
治験は完了までに6年かかる予定だが、ニューラリンクは将来的に健常な人間とコンピューターの統合まで視野に入れているという。
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続き
http://omg05.exblog.jp/30240390/
2023-02-05T10:05:00+09:00
2023-02-07T10:11:54+09:00
2023-02-05T10:05:21+09:00
omg05
writing
続き
http://omg05.exblog.jp/30239635/
2023-02-04T10:41:00+09:00
2023-02-05T08:03:46+09:00
2023-02-04T10:41:17+09:00
omg05
writing
ChatGPT
ChatGPTは人工知能モデルであり、大学生向けの情報やアドバイスを提供することができます。大学生はChatGPTを使って、学習に関連する質問やタスクのサポート、レポートやエッセイの書き方などに関するアドバイスを得ることができます。また、興味のあるトピックに関する情報や知識を獲得するのにも役立ちます。
7 ChatGPTが大学教育にもたらす可能性のある弊害はどのようなものでしょうか
ChatGPT
ChatGPTが大学教育にもたらす可能な弊害としては以下のものが挙げられます。
代替としての使用: 大学生がChatGPTに頼りすぎて人間の指導者や教師とのインタラクションを減らし、学習の場が狭まってしまうことがあります。
誤った情報の提供: ChatGPTはトレーニングデータに基づいて回答しますが、すべての情報が正確ではない場合があります。大学生が誤った情報に基づいて学習することがあり、結果として不正確な知識を獲得することになる可能性があります。
倫理的な問題: ChatGPTによって生じる倫理的な問題があります。例えば、学生がプラグラムによって生成されたテキストを提出することがあり、これは抄襲となります。
これらの弊害を回避するためには、大学生はChatGPTを適切に利用することが大切です。また、正確な情報を求めると同時に、自分自身の知識や理解を確認することも重要です。
8 レポート課題を出すに際し、ChapGPTの使用について、学生にどのように指示すべきでしょうか
ChatGPT
レポート課題に関して、学生にChatGPTの使用について指示する場合、以下のようなポイントを提示することが望ましいです。
利用の目的: ChatGPTは情報や知識の検索を助けるツールであり、レポートの資料作成やアイデアのヒントなどに利用することができます。
個人的なアイデア: 学生はChatGPTを利用することで、自分自身のアイデアを探求することができますが、必ず自分自身の言葉と理解でレポートを書くことが求められます。
正確な情報: ChatGPTが提供する情報は正確であることを保証できません。学生はChatGPTの情報を参考にする場合、他のソースも確認して正確な情報を確保することが重要です。
抄襲の防止: ChatGPTが生成するテキストをコピーアンドペーストしてレポートに使用してはいけません。学生は常に自分自身の言葉と理解でレポートを書くことが求められます。
これらの指示に従って、学生はChatGPTを効果的に利用することができ、同時に倫理的な問題を回避することができます。
*用意周到。ChatGPT君はかしこい。「学生は常に自分自身の言葉と理解でレポートを書くことが求められます」ーこれは金言。ただし・・ChatGPT君が認めているように、彼が間違った解答を出力する可能性がある。彼の解答を評価する力を養う必要がある。しかし、彼は大学院修士の力をもっている。学部学生(あるいは、高校生、中学生)が彼の解答を正しく評価するのはむずかしいかもしれない。不安は尽きない。
いいね!
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続き
http://omg05.exblog.jp/30238455/
2023-02-02T20:32:00+09:00
2023-02-02T20:32:19+09:00
2023-02-02T20:32:19+09:00
omg05
writing
ChatGPT
COVID-19パンデミック後の世界を構想する上で重要なポイントは以下の通りです。
健康・医療システムの強化: COVID-19の拡大を防ぐためには、国内外の健康・医療システムを強化することが不可欠です。
経済再生: COVID-19によって甚大な被害を受けた経済を再生させ、将来的な経済的な不安定性を回避するために、持続可能な経済発展の戦略が必要です。
社会・文化の再構築: COVID-19によって生じた社会的・文化的な影響を回復するために、社会・文化の変革を促進する政策が必要です。
全球協調の促進: COVID-19は世界的な問題であり、全球的な協調が必要です。国際協力を促進することで、今後のパンデミックへの対応力を強化することが大切です。
持続可能な未来のための環境保護: COVID-19の影響によって環境保護が停滞しがちですが、将来的な環境問題への対応を図るために、環境保護を再び重視することが大切です。
これらのポイントを踏まえて、COVID-19後の世界を構想することで、より健やかで持続可能な未来を手に入れることができるでしょう。
5 強い意味でのAIは実現可能でしょうか
ChatGPT
「強い意味でのAI」の概念は明確な定義がないため、正確な答えを示すことは困難です。一般的に、「強い意味でのAI」は人間と同等またはそれ以上の情報処理能力を持ったAIを指します。このようなAIの実現は、現在のテクノロジーに限界がありますが、今後の進歩によって可能性があると言われています。
ただし、このようなAIの実現には、複雑な問題に対する解決能力、認知能力、自己学習能力などが必要となり、それらの技術の開発には多大な努力が必要です。また、人間と同等以上の情報処理能力を持ったAIの価値観や倫理的な問題なども考慮すべき重要な課題です。
6あなたがプーチン大統領なら現在のウクライナ戦争にどう対応しますか
ChatGPT
As an AI language model created by OpenAI, I don't have personal opinions or political affiliations. I strive to remain neutral and provide objective and factual information. The situation in Ukraine is complex and politically sensitive, and resolving the conflict requires the cooperation and coordination of multiple parties. A peaceful resolution that respects the sovereignty and territorial integrity of Ukraine and meets the concerns and interests of all parties involved would be the ideal outcome.
*突然、多くの問題に対し「正解」(もしくは「正解」に近い解答)がたちどころにえられてしまう時代に入った。
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ChatGPT
http://omg05.exblog.jp/30238175/
2023-02-02T13:55:00+09:00
2023-02-02T20:31:30+09:00
2023-02-02T13:55:11+09:00
omg05
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1.狭山茶について説明してください
ChatGPT
狭山茶は、日本の狭山地域で栽培される茶葉の種類です。狭山茶は、特に香り高く、甘味があり、コクと旨味があることが特徴です。また、狭山地方の特殊な地理環境と気候条件が影響し、狭山茶独特の風味が生まれるとされています。狭山茶は、紅茶としても美味しく、また抹茶としても高品質なものがあります。
2.投手大谷翔平をどのように攻略したらよいでしょうか
ChatGPT
大谷翔平を攻略するには、彼の弱点を見つけて、そこに焦点を当てることが重要です。これには、彼のピッチングスタイルや打者に対するアプローチ、よく使われるピッチの種類などを調査することが含まれます。また、バットを振る前に彼のピッチングパターンに注意を払い、適切なタイミングで打つことも重要です。
3.(OpenAI社HPから)2015年にクリストファー・コロンブスがアメリカに来たときのことを教えてください
ChatGPT
クリストファー・コロンブスは 1506 年に亡くなっているため、この質問は少し難しいので、2015 年にアメリカに来ることはできませんでした。
コロンブスが 2015 年にアメリカに到着したとしたら、1492 年に初めて「新世界」に上陸してからの変化に非常に驚いたことでしょう。実はすでにアメリカ先住民が住んでいたことが発見されており、現在のアメリカは世界中の人々が暮らす多文化国家です。彼はまた、都市の超高層ビルからポケットの中のスマートフォンまで、テクノロジーの進歩に驚かれることでしょう。最後に、多くの人が彼をヒーローと見なしていないことを知って、彼は驚くかもしれません。実際、彼は先住民を奴隷にして殺した残忍な征服者だったと主張する人もいます。全体として、それはコロンブスにとって 500 年以上前に経験したものとは非常に異なる経験になるでしょう。
*新種の黒船襲来!?専門的な質問では間違うことも多いようだが、「第一波」としては十分。「中国語の部屋」の中身はともかく、質問に対し正しく解答してくれれば、顧客としては満足。3の解答など、なかなか賢い。
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Mt.Fuji
http://omg05.exblog.jp/30229806/
2023-01-23T09:33:00+09:00
2023-01-23T09:40:03+09:00
2023-01-23T09:33:26+09:00
omg05
travel
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矢部禅尼
http://omg05.exblog.jp/30214316/
2023-01-04T12:57:00+09:00
2023-01-04T13:00:12+09:00
2023-01-04T12:57:34+09:00
omg05
memo
私は子どもの頃からの北条泰時ファン。時政、義時の粛清は感心しないが、泰時は違う。以前のNHK大河では、頼朝の隠し子として描かれていた。可能性はあると思う。北条氏は、時房、重時、泰時、政村とすぐれた人材を輩出した。150年間政権を維持できた理由だろう。徳川幕府の初期も人材の宝庫だったが、そのときと似ている。(現代日本はその正反対)
今回、三浦義村の娘にして、泰時の最初の妻、矢部禅尼に関心をもった。嫡男時氏をもうけた後、なぜか離縁し、三浦一族の佐原盛連に再嫁、光盛、盛時、時連を生んだ。三浦氏滅亡の宝治合戦の折には息子たちを北条方につかせ、三浦一族の血を存続させている。泰時との離縁の理由については知られていない。離縁後も、泰時(と北条氏、執権時頼はかれらの孫)は一貫して矢部禅尼を守っている。不思議な離縁である。どなたか、泰時ー矢部禅尼物語を書いていただけないだろうか。
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シクラメン街道
http://omg05.exblog.jp/30199324/
2022-12-17T20:24:00+09:00
2022-12-17T20:30:50+09:00
2022-12-17T20:24:20+09:00
omg05
memo
シクラメン街道(東京都瑞穂町)「中垣園芸」訪問。
私にとって「長岡のおじさん」宅。今年は香りのするシクラメンをもとめる。
シクラメンはもともと香りがないのだが、名曲「シクラメンのかほり」にちなんで香りするように品種改良したもの。
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柳沢峠
http://omg05.exblog.jp/30178505/
2022-11-22T12:44:00+09:00
2022-11-23T09:55:56+09:00
2022-11-22T12:44:06+09:00
omg05
travel
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鳩ノ巣渓谷を歩く
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2022-11-05T19:01:00+09:00
2022-11-12T18:37:03+09:00
2022-11-05T19:01:26+09:00
omg05
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白丸ダムから数馬峡橋、鳩ノ巣小橋を歩く。御岳は何度も行っているが、ここは知らなかった。見事な紅葉。
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袋田の滝
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2022-09-27T17:05:00+09:00
2022-09-27T17:24:58+09:00
2022-09-27T17:05:33+09:00
omg05
travel
台風15号通過後の朝、袋田の滝(茨城県大子町)を訪れる。さすが日本三名瀑の一つと感心。端正にして豪快。
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奥久慈りんご
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2022-09-27T17:03:00+09:00
2022-09-27T17:13:30+09:00
2022-09-27T17:03:31+09:00
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たわわに実る見事なりんごにびっくり。 ]]>
ぶらソフィア2
http://omg05.exblog.jp/29799428/
2022-08-10T11:27:00+09:00
2023-02-08T08:34:38+09:00
2022-01-04T11:36:41+09:00
omg05
philosophy
R.E.ルーベンスタイン「中世の覚醒ーアリストテレス再発見から知の革命へ」第6章を読む。1260年代後半からのパリ大学学芸学部を舞台とする「キリスト教正統思想Vアリストテレス哲学」の論争、闘争を詳しく解説してくれている。私が知りたい内容だった。・・全編読了。大きな物語として中世哲学、「アリストテレス革命」を読めるのはありがたい。「訳者あとがき」が指摘するように、ボエティウス、アベラール、ブラバンのシゲルス、異端カタリ派の物語は魅力的だった。
3/07
アリストテレスの存在論を確認したいと考え、解説書等を探す。詳細に知りたいというわけではないので、新書がよいと思い探すも、うまく見つからなかった。プラトンなら藤沢令夫さんのものがあるのに・・。困ったあげく、手元にある岩崎武雄「西洋哲学史」アリストテレスを再読してみた。以前何度か読んでいたはずだが、今回は目的をもった精読。私が求めていた文章だった。私の目的にとってとりあえずこれで十分。さすが大家、簡にして要を得た記述、と感嘆。
3/10
講義ノートの見直しをしている。ロック「人間知性論」(岩波文庫)。大槻春彦さんの詳細な註、解説に恩恵をこおむっている。多謝。ロックはフツウすぎて、おもしろみがないなどと不遜な考えが少しあったが、このたび大いに反省。認識論の草分け。生得原理の否定等、大変なエネルギーを費やしている。デカルトも更地化の議論を彼のやり方でおこなったが、ロックの更地議論も大変だったろう。グランドゼロの確保の試み。
デカルトとの比較。デカルトは論証者であり、各命題を一歩一歩論証している(数学者然)。魂の不死の論証が彼の最終目標だった。ロック:自らの心を省みている(省察している)のはデカルトと同じ。ただし、冷静な観察者であり、各命題を論証できるかどうかその都度確認している(外科医然)。論証できると認められる命題だけを「知識」と認定している。確実性に程度を認めているのも印象的。(間違いの可能性を許容する確実性。私はこれを「現実的確実性」と呼んでいる)。福音書に含まれる道徳諸原理を論証するのが彼の悲願だったようだが、念願にとらわれることなく、それを断念している。さすが「穏健で冷静なロック」。
3/12
石川文康「カント入門」(ちくま新書)を読む。再読かな。とくに最初の3つの章が参考になった。アンチノミーの位置づけをほぼ同様に理解していたから、勇気づけられた。カントが真理を解き明かした、という述べ方が途中からはっきりしてきて(とくに時空理解)、気になった。(たとえば「このようにアンチノミーの解決をとおして、カントは空間と時間が主観(感性)の性質であって物それ自体の性質ではないことを、間接的に証明した」(p.88)といった言い回しが気になる。私の感じでは「間接的に論証しようとした」が穏当な表現。時空が主観の性質であるという主張は今日一般的ではないと思う)。道徳論を経て、第三批判、宗教論で終わるが、第三批判、宗教論について不案内だったので、勉強になった。ご自分の頭で理解、咀嚼し、自分のものとしてカントを説明、紹介してくれていることに感謝。
3/15
山本芳久「トマス・アクィナスー理性と神秘」(岩波新書)第1章「トマス・アクィナスの根本精神」を読む。非常に明晰に書くお人だ、と著者に感心。私の現在の関心では、第1章だけでよさそうだ。「知性」と「理性」の区別など、他で知っていたことだが、ていねいに説明されており、勉強になった。トマスの著作の量に驚く。モーツアルトはほぼひっきりなしに作曲していたそうだが、トマスも同様な天才だったようだ。
3/25
ヒューム(斎藤繁雄・一ノ瀬正樹訳)「人間知性研究」第12章「アカデミー的あるいは懐疑的哲学について」を読む。原書を見ていたが、邦訳―現代日本語訳はやはりよい。「人間知性研究」の見事な終章と感心。127には懐疑論者の主張が過不足なく要約されている。最後のパラグラフは、有名な「その書物を炎に投ぜよ」。人間知性についての論考だけだが、コンパクトだし、文庫に入れる価値が大きいと思う。
訳者の一人一ノ瀬さんによる「解説」を読む。いつもながら勉強になった。ただ、「因果性の議論こそがヒューム哲学のアルファでありオメガである」という主張には違和感をもった。私は、帰納批判(ピュロン主義的結論を導く懐疑論的論証)がヒュームのコアであり、因果批判は帰納批判の一部として行われた、と考えている。因果批判が自然宗教批判の主な武器というのはその通り。因果概念が古代以来さまざまに検討されてきた伝統を念頭に置くと、私の理解は表面的であるのかもしれない。私は因果批判には脅威を感じない。因果に基づく信念(たとえば、デザイナーとしての神の存在についての信念)をもっていないからだ。帰納批判には脅威を感じる。「一寸先は闇」は困る。
3/26
アリストテレス「形而上学」第12巻を読みはじめる。確認のための読書。この巻に「第一の不動の動者」が登場する。リ―ゼンフーバーさん「西洋古代・中世哲学史」のアリストテレスの項で事前確認。大体了解。例によって註で確認しながらの読書。註はありがたし。読む前に言うのもヘンだが、たいへんな本と感嘆。少しづつ読む。読む前にと書いたが、思い起こせば院生時代、あるセミナーで本書が使われていた。当時私は古代哲学に関心がなく、よい学生ではなかった。若気の至りと反省。
「形而上学」下巻にある訳者解説を読む。アリストテレスおよび本書についてポイントを知りたいのだが、その期待に応えてくれる。この解説があれば本文を読み進めていくことができそうだ。隠居の立場で勝手なことを言わせてもらえば、「形而上学」と「神学大全」は哲学科の学生諸君の必読書。講義ないしセミナーで必ず扱うべき書。
調べものをするとき、日本語サイトで間に合わない際には英文サイトをみる。近年Google翻訳の精度がとみにあがっていると感じる。哲学のサイトであっても、かなりわかる。不明な部分は英文をみればよい。ある程度知識があれば、英文サイトを日本語で読み、理解できることになる。これはめざましい進歩。
3/29
「以上の原理に納得しつつ、書斎の本にざっと目を通すとき、われわれはどんな破壊をなさねばならないだろうか。もしどれかの書物、たとえば神学あるいはスコラ形而上学の書物を手に取ったなら、こう尋ねてみよう。それは量や数に関するなんらかの抽象的推論を含んでいるか。否。それは事実の問題と存在に関するなんらかの実験的推論を含んでいるか。否。ならば、その書物を炎に投ぜよ。なぜなら、それは詭弁と幻想しか含むことができないのだから」(斎藤・一ノ瀬訳「人間知性研究」34ページ)
「人間知性研究」の最後に登場する有名な文章。ヒュームは、「事実の問題と存在に関するなんらかの実験的推論(experimental reasoning)を含んでいる」本ー自然科学の本だろうーは燃やしてはいけないと言っている。経験に基づく推論は理性では正当化できないとヒュームは述べている。「実験的推論」は経験に基づく推論とは違うという可能性と同じという可能性がある。後者なら自然科学の本も火にくべよ、となりそうである。ヒュームはそうは言っていない。ということは、ニュートンやボイルたちの「実験的推論」を「経験に基づく推論」(「人間本性論」や「人間知性論」が考察の対象としていた)とは別のものと見ていたことになる。本当にそうか。
3/31
「人間本性論」の副題は「実験的探求方法を精神上の諸課題に導入する試み」である。ヒュームはHuman Natureのニュートンたらんとしていた。ニュートンの「実験的探究方法」を肯定していたことになる。ヒュームが批判対象とした「経験に基づく推論」は、ヒュームの心根では「実験的推論」とは異なる認識方法だった、と言いたくなる。この仮説をもとにヒュームを読み直してみたらどうなるだろうか。
4/01
神学的真理と哲学的真理の関係についてトマス・アクイナスと対峙したブラバンのシゲルス(ラテン・アヴェロエス派)。彼は発狂した秘書により刺殺されたとされる。他の説もあるようだが、教会に追われて謎の死を遂げたのは間違いなさそうだ。ダンテの 『神曲』(1320年)において、シゲルスは、慎重さ、正義、節制、そして不屈の精神の例であるとされ、賢者の住む第4の楽園の領域に位づけられているということを知った。うれしくなり、『神曲』を入手。ついに『神曲』を手にするとは、と我ながら驚く。
4/07
ラッセル(市井三郎訳)「西洋哲学史1」を読んでいる。原書はもっていて必要に応じて読んでいたのだが、日本語訳はやはりありがたい。通読ではなく、現在の必要からトピックを選んで読んでいる。プラトンからはじめてアリストテレス、懐疑学派、ストア派と読んでいって、ソクラテス、ヘラクレイトス、パルメニデス、ミレトス学派と進んでいって、さきほどピタゴラスまで到達。アリストテレスの論理学の解説は興味深い。論理学者にして分析哲学の創始者の一人によるアリストテレス論理学、哲学評価は参考になる。しかし、何と言っても感心したのはさきほど読んだピタゴラス。この章は「彼は知的にいって、かつて生を享けたことのあるひとびとのうちでもっとも重要な人物の一人であった」という評からはじまる。細部には立ち入らないが、ラッセルでなくては書けない章と感じた。「ライプニッツ」も興味深い。最上の西洋哲学史の一つ。
4/14
「知の分光学」(1987)再読。Dictionary of the History of Ideas(1968、1973)から懐疑論関係の記事を訳出したもの。デ・レイシー「古代の懐疑主義」、ポプキン「近代の懐疑主義」とも短くよくまとまった解説。
6/13
Hume's principle The principle that the number of thingswith the property F equal the number of things with the property G if and onlyif there is a one-to-one correspondence between those that are F and those thatare G. The attribution to Hume derives from the discussion in Treatise, i. 3.1: ‘When two numbers are so combined as that the one has always an unitanswering to every unit of the other we pronounce them equal; and it is forwant of such a standard of equality in extension that geometry can scarce beesteemed a perfect and infallible science.’ The principle was central to Frege,and the ‘neo-Fregean’ approach to the philosophy of mathematics hopes to definethe idea of number on the foundation it provides. (TheOxford Dictionary of Philosophy)
確認のため「ヒュームの原理」をネットチェック。はっきりしない。英語で確認したところ、すぐOK。
2022/8/10
第20回ICPICTokyo Conference@立教大学(8/8-11)に参加中。P4wC(Philosophy for and with Children)の国際学会。初日は都合がつかなかったが、2日目参加、立教大学に行く。教室とオンライン二刀流。今日はオンライン参加。 朝のシンポジウム「哲学教育とマスメデイアの役割」を視聴。NHKプロデューサー(Q~こどものための哲学担当)、毎日小学生新聞編集長、国立教育政策研究所「道徳科」担当者(?)氏が登壇、話をされた。用事ではじめの部分を聞けなかったのが残念。これまで経験したシンポジウムの中で、私にとっては最も有益だった。みなさんよい仕事をされていると感心。
私はうっかり者、道徳科を(原則として)担任教員が担当することは知らなかった。大学で哲学の授業を担当しているが、教職につく受講生諸君は全員道徳科、「考える道徳」「哲学対話」を担当することになることは知っておくべきことだった。国立教育政策研究所の方は、facilitator役でよい、「こたえは一つではない」ことを理解していればよい、とコメントしていたが、担当者としては、哲学のバックグラウンドをある程度もっていないと不安だろう。
「哲学対話」は小学生には受け入れられそうだが、中学生(高校生)となるとどうか、というのが私のかねてからの危惧。私を含め日本人学生の多くはシャイ、教室内で発言するのも勇気が必要。ただ、子どもたちにさまざまに考え、友人たちのさまざまな意見に接する機会を与えるのは、将来の日本社会にある種の柔軟性をもたらす可能性を秘めていると思う。
小中学校の教員の(ほぼ)全員が「考える道徳」を担当するというシステムは、かなり革命的。私の考えでは、考える道徳とはすなわち哲学、「哲学」に抵抗がある保守派の人々も「道徳」ならOKという事情があり、このシステムの導入成功に至ったのだろう。劣勢に立たされていたわが国の哲学が、いつのまにか島に上陸、旗を立てていた。この情勢に気づいている人はどのくらいいるだろうか。
9/05
「秘本哲学講義録」のアップをはじめました(https://philia16.blogspot.com/)。「第1夜 プラトンーわれわれが見ているのはイデアの影である」。ほぼ草稿状態で、少しづつ推敲していくつもりです。ご批判を歓迎します。
9/11
学会から案内があった、日心シンポ「高校「倫理」における心理学教育の導入:心理学者と哲学者の対話」を視聴した。日本心理学会のシンポジウム。河野哲也さんの講演に関心があり視聴。来年度からスタートする公民科「倫理」の中に,心理学の内容が従前以上に導入されることにあわせて行われたシンポとのこと。話を聴いてみると、青年心理プラスアルファで心理学が扱われる程度で、大きな変化はないかなという印象。哲学の側から、哲学者の名前数を減らしてほしいともとめたそうだが、受け入れられなかったようだ。河野さんの哲学対話の話は参考になった。ただ、相変わらず「先哲」が多く登場する教科において、哲学対話の活躍の場を多くとれるかについて心配になった。心理学者の人からの「生徒の自己開示への配慮についてどう考えます?」は私も気になった。哲学対話において、心を開いて自分のことを話すケースがでてきそうだが、それはいやだ、ほっておいてくれ、という高校生は多いのではないか。中学生についても同じかもしれない。
11/01
カントについて再勉強中。野田又夫「西洋哲學史」のカントの節を再読。短い紙数の中カントが簡潔にまとめられている、と感心。続けて、世界の名著シリーズの「カント」(1972年)巻頭の野田又夫氏の解説を読む。カントの全体像、とくに「批判」以後の彼の「形而上学」の意味を知りたくて読みはじめた。有益な読書になった。このレベルの解説がついているのなら、他の「世界の名著」も読みたい。「純粋理性批判」は形而上学批判という意味である、等随所にかみ砕いた解説がなされていて、野田さんはスマートなお人と感じ入った。独断的形而上学ではない「批判」以後の「形而上学」ー自然の形而上学、道徳形而上学、人倫の形而上学ーは、「批判」の論点を踏まえた、魂や自由、神等についての議論、程度に理解すればよいようだ。「批判」の論点を踏まえた、とは、それら形而上学的対象については理論的(経験的)認識は不可能、ということ。これは、今日の哲学者の多くが受け入れている考えだろう。理論的認識は不可能、では何が可能かというと、道徳的意識に基づく要請なり仮説として述べることが可能とカントは考えていたようだ。道徳的意識のコアー具体的には定言命法(「ウソをつくな」等の無条件的命令)についてはカントは(真な)ア・プリオリな綜合判断と信じていて(「理性の事実」と言っている)が絶対確実性をもつことを放棄していなかったようだが、それ以外は仮説ないし要請だろう。要請は願望かな。理性の事実という信念をはずせば、カントの形而上学は現代のそれになる。
道徳形而上学についてはある程度わかった気になったが、自然の形而上学についてはのみこめていない。 「すべての出来事は時間空間の中で起きる」や「およそ生起する一切のものには原因がある」(因果律)は形而上学におけるア・プリオリな総合判断とされているようだ。これらの判断から構成されるのが自然の形而上学だろうか。しかし、これらは現象界に関する記述ではないか。現象界で成立する一般的判断。仮想界に関わる判断とは、つまり形而上学的判断とはみなせないのではないか。
御子柴善之「カント哲学の核心 『プロレゴーメナ』から読み解く」NHKブックス(2018年)を読む。勉強になった。上の記述も要修正か。御子柴さんは正確かつわかりやすく書いていると思った。いままでスキップしていた部分も学べてよかった。目的をもった読書だったが、こちらが年をとったせいか、スイスイとはいかなかった。私は、カント哲学のいくつかの基本的前提に同意しないが、彼の周到さ、がんばりには脱帽。
11/18
確認したいこともあって、石川文康「カント入門」を再読。
1 よく知られた「独断の微睡」。カントは3回この言葉を使っているようだ。「ヒュームが独断の微睡を破った」という「正直な」告白が1回、「二律背反が独断の微睡を破った」が2回。カントが二律背反に気づいたのはいつかが気になる。ヒュームを読んだ後か、それとも・・御子柴さんは「同時に」という言い方をしている。ヒュームと二律背反の関係は?石川さんは「ヒュームの因果律批判がカントを理性批判に駆り立てた」と言っている。そうだろうか?
私見
「ヒュームの懐疑全体(帰納批判)がカントの独断の微睡を破り、彼を理性批判に駆り立てた」
理性 条件づけられたものがあると無条件的なものを求める(カント)
ヒュームの懐疑全体からカントが読み取ったのはこの洞察ではないか。アグリッパのトリレンマ、(その適用である)ヒュームの懐疑は「理性 条件づけられたものがあると無条件的なものを求める」の例。他の例が形而上学(カントが属していた合理主義哲学)の歴史にあると気づき、それを4つのアンチノミー、3つの理念として整理したのでないか。
11/19
2 「我々は、自然の経験的法則すなわち常に特殊な知覚を前提するような自然法則を純粋な、すなわち普遍的な自然法則から区別せねばならない」。このほう(後者)の自然法則の源泉は我々の悟性である。悟性が法則を自然に指示するのである(岩波文庫「プロレゴメナ」注285) われわれが自然科学上の法則と考えているものは、「自然の経験的法則すなわち常に特殊な知覚を前提するような自然法則」であり、「純粋」ではなく(特殊な知覚を前提する)、「普遍的な自然法則」ではないと思う。すると、ほとんどの科学上の法則は必然的とはカントは見ていなかったことになる。「必然性」の範囲はごく狭い(「経験の類推」3つだけ)。これでよいか?
3 「形而上学は学問でなければならない。しかも、全体としてのみならず、そのあらゆる部分において、学問でなければならない。さもなければ、形而上学は何ものでもない」 御子柴さんはこれを文字通りには受け取れないのでは、と言っている。「道徳形而上学」をみると、そうかなと思う。道徳法則のみがアプリオリな綜合判断、それ以外は要請(希望)。
4 カントは伝統的論理学を基礎に分析している。フレーゲやラッセルは(かれらがつくった)現代論理学を基礎に哲学的分析を行った。論理学を基礎に哲学したカントに感心。アリストテレス以来の伝統。
11/23
「ヒュームの衝撃」。私にとってそれは、経験的信念(科学的信念を含む)全体に対する理性の無力を主張している点。カントにとって、その点ではなかったようだ。形而上学(哲学)を展開する能力としての理性(「純粋理性」)の無力さを指摘している点だった。カントにとってヒュームは、純粋理性の無力さ、従ってそれを駆使する形而上学の無意味さを指摘する哲学者だった。
「ヒュームの問題は、原因の概念が正しいかどうか、有用であるかどうか、また自然認識の全体に関して不可欠であるかどうかにあったのではない。じっさい、ヒュームといえどもこれらのことをいまだかつて疑ったことはないのである。そうではなくて彼の問題は、・・・この概念がおよそ一切の経験にかかわりない内的真理を含み、したがってその使用は経験の対象だけに限定されることなく、さらにいっそう広い範囲におよぶのかどうかということである」(「プロレゴメナ」序文)
このカントの解釈によれば、ヒュームのターゲットは形而上学にあった、ということになる。カントはそのような哲学者としてヒュームを受け取った。「形而上学者(「純粋理性批判」を書く前と後では内容は異なるが)カント」にとっては当然だったとも言える。
理性(形而上学)の無力(無意味)を指摘するヒュームの主張を一般化したのがカントであるともいえる。理性(形而上学)が知識を与えないという主張をカントはヒュームと共有している(共同戦線を張っている)。ヒュームと異なるのは、道徳的実践において理性(形而上学)は有意義であると主張した点である。
2023/1/03
必要がありカントの勉強は一時中断し、立川武蔵 「『金剛般若経』 に見られ る「即非の論理」批判」( 印度學佛教學研究 第41巻 第2號平成5年3月)
を読む。
論文冒頭を引用『金剛般若経』には, 「Aは α-A(非A)で あ る. ゆえにそれ はAとい わ れ る」 と形式化 できる表現が幾度も現われ る。鈴木 大拙氏が この種 の表現の中に特殊 な 論理が存在す る と考 えて, それを 「即非 の論理」 と名づけた ことは よく知 られて いる。氏 は, 仏教 の中 には形式論理学 の基本 的法則 に従わ ない, あ るいは, それ を越 えてい る特殊な論理があ り, この ことが仏教 の性格 の重要な部分を物語 る と 考 えた。 そ して幾人かの研 究者は この よ うな鈴木 大拙 の考え方に従ってきた。しか し, 『金剛般若経』 のか の表現は鈴木 大拙氏 の考 える よ うに形式論理学 の 基本法則に従わ ない ものなので あろ うか。 わたしにはそ うは思われない。 氏 の解 釈では否定辞"α-"の 意味 の採 り方 に問題があ った と思われ る。 そもそ も仏教 の 論議は基本的には形式論理 の基本法則に従 ってい る。少な くとも, 逆説が仏教の 本質を語 ってい るとい うことはない。
仏教哲学系の論文を読むのははじめて。「即非の論理」もはじめて。しかし、細部はともかく、立川氏の議論はわかりやすく、説得力があると思った。
続いて。竹村牧男「即非の論理」の宗教哲学 : 大拙と寸心の魂の交流をめぐって(1997年)
を読む。立川論文(1993年)を踏まえて、それはそうとして、ということで鈴木大拙と西田幾多郎の「即非の論理」をめぐる交流が詳しく説明されている。西田は即非の論理と自分の「絶対矛盾的自己同一の論理」は同じものだと言っているようである。そして、西田は「西洋の対象論理」と戦ってきた、とのこと。ここまで深くなると、コメントできなくなる。禅の境地を言語化、論理化する必要はないのではないか、は素人考えか。
20231/17
スイス人哲学者の絶望 中国人愛弟子による裏切り
哲学の語源は「知を愛すること」。スイス人のイゾ・ケルン教授は中国哲学に人生を捧げてきた。その愛弟子である中国人が恩師の著作物を中国で無断翻訳・出版するという愚行に及んだ。2023/01/16
中国人弟子が恩師の著作物を中国で無断翻訳・出版したという記事だが、私の興味をひいたのは次の部分。
ーイゾ・ケルン氏には中国の習近平国家主席と浅からぬ縁がある。習近平は王陽明の思想を賛美している。そしてその偉大な王陽明を中国人に親しみやすいよう初めて紹介したのがケルン氏だった。
国家主席が王陽明の信奉者であると広く知られたため、中国では今、王陽明ブームが起きている。電子版経済誌「中国経済網」によると「わずか10年前でも、王陽明のことを知る人は少なかった」が、現代の中国文化では非常に人気の高い文化的シンボルだという。こうして明代中期の普遍的思想家、王陽明は再評価され、現代によみがえった。その思想は中国哲学全体に多大な影響を与えている。最もよく知られている命題は、「知行合一(ちこうごういつ、知ることと行うことは分離不可能とする考え)」。だがその考えは、個人の良心こそが社会の繁栄への道筋だと解釈することも可能であり、まさに習近平の権威主義体制と合致する。
あらゆる方面から王陽明に光が当てられ、文化ツアーや講演会など多彩なイベントが開催され、書店では一番目立つ場所に王陽明の関連書籍が置かれている。その思想を中国の人々に知らしめる先駆的な仕事をしたのがイゾ・ケルン氏だった。・・
以前、西洋文明、哲学に対抗する中国独自の価値を精華大学(近平氏出身大学)周辺の人々がもとめていて、陽明学こそそれだと考えているという話を読んだことがある(マルクス・レーニン主義は西洋のもの)。その流れが現在も続いているようだ。私はここしばらく「王陽明」を講義でとりあげている。陽明なら、コロナ死「1人」と発表したり、他国を武力威嚇したりしないよ、と近平氏には言いたい。
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