社会的選択の論理4 |
Amartya Sen, “The Impossibility of a Paretian Liberal,” Journal of Political Economy, 78, 1970, pp. 152-157.
社会的選択理論における有名な結果に,Sen(1970)の「パレ-ト派リベラルの不可能性」がある。パレ-ト派リベラルの不可能性とは,形式的には,「最小自由主義の条件」と呼ばれる条件が「選好の無制約性の条件」および「パレ-ト最適性の条件」と呼ばれる他の2つの条件と両立しないという論理的事実をさす。
「選好の無制約性の条件」と「パレ-ト最適性の条件」が経済学において広く採用されているということと,「最小自由主義の条件」が自由主義に対するきわめて自然な要求であるかのようにみえたので,この定理は人々を当惑させた。
リベラル・パラドクス
条件U(個人選好の無制約性(unrestricted domain))
各個人はどのような選好順序を表明してもよい。
条件P((弱)パレ-ト最適性(weak Pareto optimality))
全員が「xはyよりよい」とした場合には,社会的順序はそれに従わなければならない。
条件L*(最小自由主義(minimal libertarianism))
少なくとも2人は,少なくとも1組の選択肢の対に対し両側自由裁量権をもつ。
ただし,条件L*で言う両側自由裁量権とは次のようなものである。
(x,y)をある選択肢の対であるする。個人iについて,x iyならばx yで,かつy ixならばy xであるとき,個人iは(x,y)について両側自由裁量権をもつ,と言う。
条件L*の下,両側自由裁量権を認められた2人の選好に反する社会的順序は実現されないから,条件L*は,最低2人に社会的決定に関する部分的拒否権を認めることを要求していることになる。
社会的決定関数に対する要求としてはここに挙げた3つの条件はどれも自然な条件であるように見える。ところが,これらの3条件は実は両立しない,すなわち,「条件U,条件P,条件L*をともに満足する社会的決定関数は存在しない」と述べるのが「リベラル・パラドクス(パレ-ト派リベラルの不可能性)」である。
libertarianismを上では自由主義(自由尊重主義)と訳しているが、これは「白熱教室」で登場するリバタリアニズムである。リバタリアンの基本的要求と、市場メカニズムに対する最小の倫理性の要求であるパレート最適性が論理的に衝突することを、センの定理は指摘している。この意味では、「パレート派リバタリアンの不可能性」という名前の方が適切かもしれない。もちろん、この定理はノージック「アナーキー、・・」(1976)より前の結果である。
Sen自伝(1998年ノーベル経済学賞受賞)http://nobelprize.org/nobel_prizes/economics/laureates/1998/sen-autobio.html
www.news.harvard.edu/.../2002/10.10/03-sen.html