ハーバード白熱教室(第8回ロールズ) |
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今回はジョン・ロールズJohn Rawls(1921ー2002)の正義論。
(ロールズ:太平洋戦争に歩兵として参加、広島を見ているそうだ。1964年MITからハーバードに移り、以後40年近く同大学に在職。「ハーバードの聖人」)
自分が誰かという肝心な情報が隠されている状況(「無知のヴェール」がかけられた状態)でーここでは、自分さえよければよいう狭い意味でのエゴイズムが発動されえないー、望ましい社会の在り方として人々が一致して選ぶ原理があれば、それが正義の原理、というのがロールズの基本的考え。
実際そのような状況下(「原初状態」original position)で一致して選ばれるだろうとロールズが論証、主張するのが、「正義の2原理」。
正義の2原理は、「平等な自由の原理」(発言の自由、信教の自由等の基本的自由が最大限保障されているべきこと)と「格差原理」(difference principle)とから成る。
社会である限り社会的・経済的不平等を設計せざるをえない、しかし、それらは「最も恵まれない人々」(least favorable people)の福祉をアップさせる場合に限り許される、というのが格差原理。
鳩山さんは首相職にあるから尊敬されるわけではない、最も不遇な人々の状況を改善する限りにおいて重んじられる。それをしないのなら単なる「宇宙人」。
ロールズは、無知のヴェールの背後に置かれた人々は功利主義を選択しないだろう、と指摘する。
ヴェールをはずしてみて、自分が少数派に属していれば、「最大多数の最大多数」の掛け声のもと、人間としての尊厳が奪われるおそれがある、と考えるだろうからだ。
ロールズはさらに、能力主義(meritocracy)ー努力に応じて報いられるべきだーも認めない(問題があり、無知のヴェール下で選択されないだろうと考える)。
競争の結果は個人の生まれながらの才能に依存する。
個人が才能をもつということは道徳的には恣意的な事柄であり(自然によるクジ引きの結果にすぎない)、恣意的な事柄に依存するものは報いられるべきだとはいえない、とロールズはいう。
たとえば、ということで、サンデルは「長男(長女)である人手をあげて」とたずねる。
7割以上が長男(長女)であることを確認した上で、ハーバード大学で学ぶについて、本人の努力はあったにせよ、長男(長女)であることがある程度貢献しているだろう、しかし、長男(長女)であることは偶然的なことだ、自分は報いられるべきだ(高く評価されて当然だ)、とはいえない。
(「努力は報いられるべきだ」という考えに対し、努力できる能力自身自然による恣意的な決定の産物であり、正しいとはいえない(無知のヴェールの背後の人々は選択しない)、と指摘。)
というわけで、今回、能力主義の道徳的正しさが問題にされる。
努力が報われるのは当然、という感覚があるから(アメリカ社会の基本的価値の一つだろう)、議論はヒートアップ。
かりに努力が報われるのは当然と仮定したとしても、最高裁判事が年収20万ドル、TV局出演判事が 2,500万ドル、人気深夜トークショーのDavid Lettermanが3,500万ドル、という差は正当か、と議論がすすむ。
私は格差原理に同意のくちだから、興味深く視聴した。
ロールズ格差原理に対する批判としては、ほかに
(1)その考えだと、努力しようという動機(インセンチブ)が湧かない。
(2)自分の才能は自分のもの!勝手に使うな!(ノージック)
がとりあげられる。
(1)に対しては、うまく不平等を設計すれば対応できる(とサンデルは答えているようだ)。
どこかのCEOのような貪欲さは相手にしなければよい。
(2)について:個人的な直観としては、自分の才能に対する所有権にこだわることには不健全さを感じる。
*「さよなら ジョン・ロールズ」
”The enduring significance of John Rawls”
(http://evatt.labor.net.au/news/153.html)
これは、2002年にロールズが亡くなった時、女流政治哲学者マーサ・ヌスバウム(Martha Nussbaum)が寄せた追悼文。
ヌスバウムは西洋古典学から哲学に転じ、大学院はハーバード。
彼女は、ロールズについて、
A shy man who has always been reluctant to give public speeches, and even interviews
だったと述懐している。
途上国の女性の権利拡大のために奔走しているパワフルなヌスバウムや講義上手なサンデルとは違い、ロールズはシャイな人だったようだ。
東洋風で私には好ましい。
また、ロールズは自分の仕事を、19世紀イギリスの道徳哲学者ヘンリー・シジウィック(1838-1900)のThe Methods of Ethics (1884)に新しい章を付け加えたもの、ととらえていたとのこと。謙虚な彼らしい。
(Rawls sees his work as supplying one theory that reflective citizens can consider as they try to figure out what they really think: a theory based on ideas from the tradition of Kantian liberalism. He represents himself as adding a new chapter to Sidgwick's The Methods of Ethics (1884), considered one of the most significant works on ethics in English. While Sidgwick defended Utilitarianism, however, Rawls hopes that his chapter will show the grave defects in Utilitarianism.)