ハーバード白熱教室(第12回 「善き生を追求する」) |
彼の共同体主義は,自分が属す共同体の伝統をそのまま善や正義の基準として受け取り従う,というものではない。
新たな問題や事例と照らし合わせて共同体の中で伝統や原理を批判的に継承する,ということのようだ。
明言はされていなかったが,共同体とは彼の場合アメリカ国家をさすようだ。
事例と原理との「行ったり来たり」はロールズの「反照的均衡」(reflective equilibrium)だ。
その重要性を強調しながらも,(ロールズが無視した)正義に対し共同体がもつ機能の本質性を指摘する。
同性結婚に対しマサチューセッツ州裁判所が下した判決文が示すように,同性結婚が正しいか否かは,結婚制度の目的への考慮なしには決められない,正義は共同体の目的と密接に結びついているのだ,それなしに同意や選択といった主意的要素により正義を考えようとするリベラリズムは正しくない,と論じる。
初回の講義で述べたカントの「理性の不安」を思い出させ,講義の締めとしたところは見事。
何が善い生き方かは各人がもっている宗教的・道徳的により変わる,さまざまな善の理想が存在する社会ー多元的社会にわれわれは生きている。それらを一つに集約することはできない。だから正義は善と独立に考えるのがよいーこのようなリベラルの主張に対し,サンデルは,リベラルに同じ議論を返すことができると指摘する。人はさまざまな正義の理想をもっている。ロールズ流理想もあれば,平等主義的理想もある。われわれは正義についての多元的世界に住んでいるのだ。それらを一つに集約することはできない。この議論には問題がある。社会を構成するためには一つの正義の概念を選ばなくてはならないからだ。善の理想についてはそうではない。各人に任せたとしても(実際大方任せているが)社会はやっていける。
善の理想について議論して意見の相違を縮めることはできるし,それは意味あることだ。しかし,国家が一つの善の理想を採用して,それに基づき正義を執行する(アメリカ共同体社会についてこの考え方をサンデルは擁護しているようだ)ことについては,必ずしも歓迎できない。このタイプのアプローチが横道にそれた場合生まれる狂信主義の害悪をわれわれはよく知っているからだ。