無知論(agnotology, agnoiology) |
3匹の猿が両手でそれぞれ目、耳、口を隠している。
かれらは"Three wise monkeys"として世界に知られ、「見ざる、聞かざる、言わざる」という叡智の3つの秘密を示している,とされる(Wikipedia)。
三猿をシンボルマークとする研究がある。
「無知論」(agnotology[by Robert N.Proctor], agnoiology, the science or
study of ignorance) である。
無知はしばしば特定の意図をもって社会的に構成される。
その研究が無知論ないし無知学である。
スタンフォード大学のRobert N.Proctorがそのリーダー。
構成された「無知」の代表例としてProctorが挙げるのは,タバコの発がん性の(企業による)意図的隠蔽である。
Cancer Wars:how politics shapes what we know and don7t know about cancer(1995)
2005年には,スタンフォード大学で,Proctor夫妻により
“Agnotology: The Cultural Production of Ignorance”
と題する会議が開催されている。
認識論(epistemology)の新しい展開がいろいろ模索されている(認識成立に至る過程の分析(Hintikka),「知る」の実際の用法についての実証的研究など)。
そのなかでも,「知」や「無知」が社会的に構成され,重要な(プラス・マイナスの)機能を果たしているという点に注目する「無知論」(agnotology)は興味深い。
3.11以来、三猿の本場であるわが国で、いろいろな「知」や「無知」が社会的に構成され,見過ごせない重大な被害を人々にもたらしている。
内閣が議事録を作成しないとか、電力会社による「やらせメール」など、あきれはてた「構成」がわれわれの目前で行われている。
agnotology, agnoiologyという名前の由来
Its name derives from the Neoclassical Greek word ἄγνωσις, agnōsis, "not knowing" (confer Attic Greek ἄγνωτος "unknown"), and -λογία, -logia. More generally, the term also highlights the increasingly common condition where more knowledge of a subject leaves one more uncertain than before.
(under construction)
追記(2013/5/13)
日本哲学会のシンポジウムを聴いてきた(お茶大)。「認識論を見直す」がテーマだった。3.11後、これまでの自己完結的な認識論のままでよいのか?という問題提起だった。シンポで言及されることはなかったが、英米系認識論においては「無知論」が問題提起にこたえる展開だろう。この方向に認識論研究の中心がシフト「すべき」かどうかはわからない。しかし、無知論は認識論が社会性をまとう方向ではある。