前田慶次と滝川三九郎 |
業師列伝の最初が「新陰流」上泉伊勢守信綱で,2番目が前田慶次。
「花の慶次」,「傾奇者」として名前は知っていたものの,前田慶次に特段の関心はなかった。
しかし,読み始めて,彼が滝川家出身であることを知った。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BB%9D%E5%B7%9D%E6%B0%8F
によれば,彼の本名は「前田利益(とします)」。
前田利家の義理の甥になるが,血筋で言えば滝川家。
信長の武将として知られた滝川一益の直系の孫が,先日とりあげた快男子滝川三九郎一積(かずあつ)。
前田慶次と三九郎が同じ滝川家出身というのは,私にとってうれしい発見。
それなら話はわかる。
いずれ劣らぬ快男子。
私としては戦国ロック風慶次はこれまで守備範囲外であったが,考えをあらためることに決定。
ネットをチェックしたところ,面白い遭遇があったので紹介させていただく。(http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2228.html)
本能寺の変により、関東攻めの最中だった滝川一益軍は撤退することになった。
真田昌幸は一時滝川に人質を提出していたが、神流川での滝川軍敗北を知ると北条氏とも通じ、いよいよ滝川軍撤退と知って佐久・小県をおさえるため嫡男・信幸を大将に軍を派遣した。
信幸軍は上野から信濃へ入る軍勢を発見した。
おそらく織田勢であろう。 緊張が走る。
信幸は軍を小高い山に引き上げ、様子をうかがった。
やがて、信幸は軍勢の中に見知った顔を見つけた。
「おお、この軍勢を率いてる者は間違いない。
前田慶次だろう。彼とは懇意なので心配はいらない」
すると前田慶次も信幸に気づいた。
「珍しいな、真田殿がこのようなところへ参るとは。我々の道中警護でもしてくれるのか。たとえ一揆が道をふさいでも蹴散らしてやる。せっかくの親切だが、軍は引き取ってくれぬか。先日信長公が亡くなったようでな、上方は真っ暗だわい」
敵か味方か定かでない真田相手に信長の死を明かす豪放な慶次の言葉に、信幸も感心して軍勢を引いた。
(「滝川一益事書」「加沢紀」)
私は信幸ファンでもあるので,こういう話は好ましい。
追記
2週間前だったろうか、NHKの時代劇ドラマをやっていて、よく見ていたら主人公は前田慶次。彼が石田三成の遺児をひそかに保護しているという話だった。史実かどうか知らないが、慶次ならそのくらいやるだろう。続きも見たいなと思ったが、諸般の事情で果たせていない。いずれまとめて見てもよい。前田慶次や真田信之、直江兼続、片倉小十郎クラスの人物が現在の政界には姿かたちもない。構造上の理由がありそうだ。
たまたまだったが、木曜時代劇ドラマ最終回を見た。慶次が石田三成の息子「新九郎」の命乞いのため駿府を訪れ家康と会う、という話。史実として、家康は三成の息子たちを殺していない。さすが苦労人家康だ。最後の勝利者が家康でよかった。