私の姿を拝んでどうしようというのか |
http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/haka-topic24.htmlさんから引用させていただく。
仏像が出現したのは入滅後500年以上経ってから。これは釈迦が「私の姿を拝んでどうしようというのか」と偶像を否定したことによる。また、仏陀となった偉大な釈迦の姿は、もはや人の手で表現できないと思われていた。それゆえ、人々は釈迦の象徴として法輪(仏の教えが広まる様子を輪で表現。インド国旗の中央にも描かれている)や、仏足石(釈迦の足跡を刻んだ石。姿がNGなので足跡を拝んだ)、菩提樹などを礼拝していた。
500年も仏像を造らずにいた人々が仏像を彫り始める…いったい、その当時何が起こったのか。原因はイランやアフガン一帯を支配していた戦闘騎馬民族クシャーン帝国の大侵略だった。クシャーンのカニシュカ王は残酷無慈悲でインド北部に虐殺と破壊の嵐が吹き荒れた。人々は山中に逃げ込み、クシャーンの軍隊が通過するのを息を殺して待ち続ける。この時、精神的に極限まで追い詰められ、心の拠り所としたものが仏教であり、目に見えてすがれるものとして、藁をも掴む思いで刻み始めたのが釈迦像だった。
征服者カニシュカ王はやがて釈迦の教えに触れて心を入れ替え、仏教の大保護者として歴史に名を残すようになる。王は帝国内の貨幣に釈迦像と「ブッダ」の名を刻印した。また当時の遺跡からはカニシュカ王の頭上に釈迦が鎮座する図柄の壷なども発見されている(これはかなり感動的。カニシュカが完全に釈迦に身を委ねている)。(引用終わり)
感心したのは、「私の姿を拝んでどうしようというのか」という釈迦のことばである。やはり本物の人物である。