ほくほく線車窓の旅 |
時間がなくて富山の友人を訪問できず、残念。
八尾の「風の盆」にも行けずこれも残念。
列車での北陸行きははじめてではないが、越後湯沢からが「ほくほく線」であることにはじめて気づいた。
「ほくほく線」?どうしてそういう名前になるのだろう?などと思いながら、湯沢から日本海に達するまでの車窓を眺めた。
行きは雨で条件が悪かったのだが、景色が気に入った。帰りは天気が回復したので、じっくり観察。
山間に田園風景が広がり、重なる山並が美しい。大いに気に入った。わが国最高の車窓の旅の一つではないか。
何という町なのだろう?十日町とか南魚沼市という看板が目に入ってきた。ここが南魚沼市なのか、とはじめて知る。
盆地のような地形、緑が美しい。
気になって帰宅後ほくほく線を確認。第三セクター方式で、魚沼市四日町と日本海をつなく路線、北越急行が運営とのこと。主力は特急「はくたか」。
来春開業の北陸新幹線のルートからはずれるので、「はくたか」をやめ、特別快速列車に変える計画とのこと。
「はくたか」廃止は残念。見事な車窓の旅がわきに置かれてしまうのはもったいない。
追記
南魚沼は、上杉景勝、直江兼続の生誕の地とのこと。うっかりしていた。
そうか、かれらは美しい土地で生まれ育ったのか。
魚沼の中心に坂戸城があり、城主長尾政景の子が景勝。
子どもの頃見たNHK「天と地と」では、幼き景虎(後の謙信)の 師匠格だった琵琶島城主宇佐美定行が舟遊びを装って(越後守護代職を奪う可能性の高い)景虎の義兄にあたる長尾政景を謀殺(ともに入水)したシーンがあり、覚えている。あの「宇佐美定行」は風情のあるよい役者だった。
坂戸城については、http://japanesecastles.web.fc2.com/Sakado.htmlがわかりやすい。
これまで土地勘なしに上杉謙信の物語を読んでいたが、ようやくふにおちた。
越後と関東を結んだのが三国街道。三国峠を超え、関東への入り口になるのが沼田。ここをめぐり、真田・北条の戦が繰り返された。沼田の北、三国峠を越えたところに位置するのが魚沼地方、当時は上田の庄と呼ばれた地域。そこにあったのが坂戸城。「上田衆」(上田長尾氏)が支配。謙信死後の後継者争いの時期、北上してきた北条軍を抑えたのが坂戸城。魚沼は沼田と並ぶ枢要の地だったことになる。
帰りの越後湯沢からの新幹線席にパンフレット。明治時代初期の「お抱え外国人」特集。大体3000人いたとのこと。明治11年に来日、東北から北海道を旅行、旅行記を残したイザベラ・バードについての美しい記事があった。彼女が東洋の「アルカデイア」(理想郷)と称揚したのが山形地方。そこは上杉藩の領地。直江兼続が国造りした土地だ。故地魚沼を思い描きながら、丹精こめて国造りしたのかもしれない。
追記
「小説直江兼続―北の王国」 (集英社文庫)童門 冬二 著を読んだ。関ヶ原での賭けに敗れた後、直江の家をつぶして責任をとったところなど、やはり見事。徳川軍と決戦させてみたかった。勝てた確率が高い。しかし、家康も老獪。士気が高く準備の整った上杉との決戦は避け、調略の効く西での決戦を選んだ。石田三成の器量不足が痛い。やはり、沼田がキーポイント。真田昌幸が沼田をとっていれば、真田(沼田)、上杉(会津)、佐竹(水戸)と「西軍」が要所を抑え、家康も手も足もでなかったろう。「本多忠勝の娘」(信之妻)の功は大きい。魚沼米は名高い。昨日ためしに2kg購入。最近炊飯器を新調したので(象印IH炊飯ジャー)楽しみ。
越後の地名について以前から考えていたこと。まず上越市。1971年4月に、高田市と直江津市が合併して成立したとのこと。綱引きで2市名以外のものということで決まったのだろう。イメージが湧かない、高田市でも直江津市でもよかったのにと思う。市名変更運動があるとのこと。「頸城野市」が候補にあがっているようだ。部外者の私なら(謙信の春日山城にちなんで)「春日山市」を選ぶ。いま一つは柏崎市。宇佐美定行(定満)の居城琵琶島城にちなんで「琵琶島市」がよい。歴史的陰影をもった地名がほしい。せっかくの歴史だ、大事にしてもらいたい。