あなたが、2つの選択肢AとBに直面し(それ以外の選択肢が事実上ない)、Aの場合:不都合、Bの場合:不都合:いずれにせよ不都合、という状況に追い込まれたとする。「モラル・ジレンマ」(moral dilemma)とはこのような状況のことをいう。
ハムレットの”To be or not to be: that is the question”は有名。最近では韓国政府が「高高度防衛ミサイル」(THAAD)の配備問題でこの状況に置かれている。配備するか配備しないかの選択肢が韓国政府にはある。配備する場合:「強烈な不満」(中国政府)、配備しない場合:「激怒」(米政府)、いずれにせよ窮地、というのが韓国政府の置かれた状況。
There is a trolley coming down the tracks and ahead, there are five people tied to the tracks and are unable to move. The trolley will continue coming and will kill the five people. There is nothing you can do to rescue the five people EXCEPT that there is a lever. If you pull the lever, the train will be directed to another track, which has ONE person tied to it. You have two choices:
(b) Or pull the lever and save the five people, but that one person will die.
(http://thoughtcatalog.com/lenna-son/2014/06/3-famous-moral-dilemmas-that-will-really-make-you-think/)
何もしないというわけにはいくまい。するとレバーを引いて5人を救う(1人を殺す)、というのが正しい選択ということになる。
モラル・ジレンマの例はさまざまある。モラル・ジレンマはいかに振舞うのが正しいのかについて真剣に考えるよいきっかけをあたえる、というのはその通りだろう。なかば「公人」である芸能界の人の行動は、毎日ネットその他でまな板のコイ化している。私は最後は道徳感覚の問題だと思うが、いろいろ材料を出し合っていろいろな見方を提示、戦いあうのは、モラルのよい学習かもしれない。道徳感覚をネットで磨いているのだ。「北の独裁者」、「トランプ」、「慰安婦像」、「民進党」、「フィリピン大統領」、「都議会のドン」等役者はそろっている。
追記(2017/6/07)
以下は、モラル・ジレンマのいくつかの代表例
(1) カルネアデスの板(Plank of Carneades)
*古代ギリシアの哲学者カルネアデスが出したとされる問題
舞台は紀元前2世紀のギリシア。一隻の船が難破し、乗組員は全員海に投げ出された。一人の男が命からがら、壊れた船の板切れにすがりついた。するとそこへもう一人、同じ板につかまろうとする者が現れた。しかし、二人がつかまれば板そのものが沈んでしまうと考えた男は、後から来た者を突き飛ばして水死させてしまった。その後、救助された男は殺人の罪で裁判にかけられたが、罪に問われなかった。
緊急避難の例として、現代でもしばしば引用される寓話である。現代の日本の法律では、刑法第37条の「緊急避難」に該当すれば、この男は罪に問われないが、その行為によって守られた法益と侵害された法益のバランスによっては、過剰避難と捉えられる場合もある。(Wikipedia)
(2) 救命ボートの倫理(lifeboat ethics)
ギャレット・ハーディンが1974年に提案した比喩。
60名まで物理的に乗りうる救命ボートに既に50人乗っている時、海に投げ出された人が100人いるとする。
この場合、とりうる選択肢は以下のものが考えられる。
全員を乗せて、船は沈没する。
10人だけ乗せる。
良心に訴えて、海に投げ出された人のために救命ボートから何人かは降りてもらう
安全因子を考え無理に人を乗せず、全員見殺しにする。
彼は救命ボートに乗っている人を先進国、海に投げ出されている人を途上国の比喩とし、途上国を見捨てて安全確保を優先することを良しとした。環境問題の解決のためには南北問題を見過ごすことは已むを得ないとした。(Wikipedia)
Hardin, G. 1974. "Living on a lifeboat" Bioscience 24 (10), 561-568.
(3) 臓器くじ(survival lottery)
生命倫理学者のジョン・ハリス(John Harris)が提案した思考実験。日本語圏では「サバイバル・ロッタリー」と表記されることが多い。
「人を殺してそれより多くの人を助けるのはよいことだろうか?」という問題について考えるための思考実験
「臓器くじ」は以下のような社会制度
1.公平なくじで健康な人をランダムに一人選び、殺す。
2.その人の臓器を全て取り出し、臓器移植が必要な人々に配る。
臓器くじによって、くじに当たった一人は死ぬが、その代わりに臓器移植を必要としていた複数人が助かる。このような行為が倫理的に許されるだろうか。
ただし問題を簡単にするため、次のような仮定を置く(これらは必ずしもハリスが明記したものではない)。
くじにひいきなどの不正行為が起こる余地はない。
移植技術は完璧である。手術は絶対に失敗せず、適合性などの問題も解決されている。
人を殺す以外に臓器を得る手段がない。死体移植や人工臓器は何らかの理由で(たとえば成功率が低いなど)使えない。
この思考実験は、社会全体の利益を最大化すべきであるという功利主義を人間の肉体にまで適用することによる不快な結果を示している。
功利主義の立場に立つならば、この制度は(富の再分配と同程度には)善であるとみなさざるをえない。(Wikipedia)
Harris, John (1975). "The survival lottery." Philosophy, 50: 81-87.
(4) 洞窟探検隊事件(The Case of the Speluncean Explorers)
1949年にハーバード・ロー・レビューにおいて発表された法哲学者ロン・フラーによる論文である。本論文は架空の判決という形式をとっており、法哲学上の諸問題を読者に提示するとともに、それに対する5つの異なった回答を裁判官が判決文の中で提示するという形を取っている。
5人の探検家たちは、地滑りにより洞窟に閉じ込められた。彼らは無線機を通じて外部と連絡を取ることに成功したが、食料がなくては救出されるまでに餓死してしまうということを知る。そこで彼らは、誰かを殺し、食べることによって、その他のものを生き延びさせることを決定する。誰が殺されるかは、サイコロ2つを振って決めることとなった。 4人の探検家が救出されたのち、彼らは5人目の仲間の死につき殺人の罪を問われ、下級審では有罪を宣告された。彼らは最高裁判所へ控訴したが、もし決定が覆らなければ、彼らは死刑に処されることとなる。制定法の文言は明確であいまいな点はないが、しかし一方で世論は死刑を回避することを強く望んでいた。
本論文は5つの考えられる判決を提示している。それぞれは理由づけと結論(生き残った者たちは有罪とされるべきか)が異なっている。2人の判事は権力分立と法解釈における文理解釈の重要性を強調し、有罪判決を認めた。一方で2人の判事は有罪判決を覆した。うち一人は良識(common sense)や民意に重点を置き、もう一人は自然法論の立場をとり、目的論的解釈を強調した。そして5人目の判事は、結論に至ることができず、彼自身を忌避した。裁判所の結論は2対2となったため、原審の判決が維持されることとなり、探検隊のメンバーは死刑に処されることとなった。
フラーのこの論文は「法哲学の古典」、あるいは法哲学界の「[20]世紀の議論の縮図」と評されてきた。自然法論や法実証主義に代表される、異なった法哲学における思想の対比を描き出しているからである。論文発表後50年の間に、この事件について25ものの架空の判決が他の論者によって新たに書かれており、そのそれぞれが異なった思想を背景としている。(Wikipedia)
Fuller, Lon L. (1949). "The Case of the Speluncean Explorers". Harvard Law Review. The Harvard Law Review Association. 62 (4): 616–645.
(5) The Baby Problem
You, your baby, and your entire townspeople are being chased by this band of bad people who will kill you all if they find you. All of you decide to hide in this secret place and are silently waiting for the bad guys to move away. However you know that your baby WILL cough and the band will hear him. Then they will find you, your baby, and the townspeople and kill all of you. So you have two choices:
(a) Kill your baby and save yourself and the entire town
(b) Or let your baby cough and get yourself, your baby, and the entire town get killed.
(http://thoughtcatalog.com/lenna-son/2014/06/3-famous-moral-dilemmas-that-will-really-make-you-think/)
(6) The Prisoner’s Dilemma(囚人のジレンマ)
You are a member of a gang and you have been arrested with another member of your gang. Both of you are confined away from each other and you have no way of communicating with the other member. The police does not have enough evidence to convict both of you with major charges and instead offer you and the other member a bargain. You have two choices:
(a) You can remain silent
(b) Or betray the other member and testify that he has committed the crime.
Then there are three outcomes:
(a) If you betray the other member and he remains silent, you will be set free and he will serve 3 years in prison. (But this also works vice versa. If you remain silent and he betrays you, you will serve 3 years in prison)
(b) If you betray the other member, and he betrays you too, you both serve 2 years in prison
(c) If you and the other member both remain silent, you both only serve one year in prison.
What would you do?
(http://thoughtcatalog.com/lenna-son/2014/06/3-famous-moral-dilemmas-that-will-really-make-you-think/)
(7)社会的ジレンマ
囚人のジレンマは次の3つの性質をもつ。
(1)各人が協力か非協力かを選ぶ
(2)各人にとっては協力よりも非協力を選ぶほうが望ましい結果を得る
(3)全員が非協力を選ぶと全員が協力を選んだ場合より誰にとっても望ましくない結果におちいる
この性質をもつ3人以上のゲームは「社会的ジレンマ」(social dilemma)と呼ばれる。
例
共有地の悲劇(tragedy of the commons):共有地(コモンズ)である牧草地に複数の農民が牛を放牧する。農民は利益の最大化を求めてより多くの牛を放牧する。自身の所有地であれば、牛が牧草を食べ尽くさないように数を調整するが、共有地では、自身が牛を増やさないと他の農民が牛を増やしてしまい、自身の取り分が減ってしまうので、牛を無尽蔵に増やし続ける結果になる。こうして農民が共有地を自由に利用する限り、資源である牧草地は荒れ果て、結果としてすべての農民が被害を受けることになる。*ギャレット・ハーディン(1968)
バスに乗る際運賃という負担を払わずに済むならば(ただ乗りfree rider)、個人にとっては払わない事(非協力行動)が合理的な選択となる。しかし皆がそのような選択を行った場合は、社会的に最適な選択を実現するはずのバス運行そのものが成り立たなくなる。同種の問題は、教室の掃除、路上駐車、環境問題、投票行動まで、多岐に渡る。(Wikipedia)
囚人のジレンマ、社会的ジレンマ(共有地の悲劇等)は、各人の個人合理性の追求が集団合理性を損ない、その結果個人合理性を損ないかねないことを示している。
追記(2019.10.03)
死ぬのは5人か、1人か…授業で「トロッコ問題」 岩国の小中学校が保護者に謝罪(毎日新聞2019年9月29日)
市教委によると、授業は、県が今年度始めた心理教育プログラムの一環。スクールカウンセラーによる授業については資料や内容を学校側と協議して、学校側も確認してから授業するとされていたが協議、確認していなかった。東小の折出美保子校長は「心の専門家による授業なので任せて、確認を怠った」と確認不足を認めた。
学校が授業内容の確認を怠ったことを謝罪しているようだ。暗に、確認していれば授業を認めなかった、ともとれる。小中学校で「死ぬのは5人か、1人か」を考えてもらう授業を行うのが適切かどうかが問われている。人が死なないジレンマがあるから、小中学校ではそちらを題材にするという選択もある。いやあえて人の生死にかかわる話を小中学生にもすべきだ、という議論もある。さて・・