マゼール/ウィーンフィルのラヴェル |
Great recordingsのCD12 《ラヴェル:管弦楽作品集》。「ダフニスとクロエ」第1&2組曲/スペイン狂詩曲/ラ・ヴァルス/ボレロ [録音:1996年]
非常に魅力的なラヴェル。「標準的な演奏」から逸脱した部分がある、と批判する向きもあるようだ。私にとって音楽が楽しめるかどうかが重要。ウィーンフィルの魅力的なラヴェルがマゼールの棒の下よい音で楽しめる、私にとってこれで十分。
ラ・ヴァルス(La Valse,1919-20)は英語ではwaltz(ワルツ)。ウィンナ・ワルツへのオマージュとして着想されたとのこと。ラヴェルは初版に、次のような標題を寄せていた(Wikipedia)。
渦巻く雲の中から、ワルツを踊る男女がかすかに浮かび上がって来よう。雲が次第に晴れ上がる。と、A部において、渦巻く群集で埋め尽くされたダンス会場が現れ、その光景が少しずつ描かれていく。B部のフォルティッシモでシャンデリアの光がさんざめく。1855年ごろのオーストリア宮廷が舞台である。
1918年同盟国側の敗北により第一次世界対戦は終わり、ウィーンを首都とするオーストリア=ハンガリー二重帝国は崩壊した。風と共に去った一つの時代を偲んで書かれたことになる。
パリに来ていたジョージ・ガーシュインから管弦楽法の教えを乞われた際、「あなたはすでに一流のガーシュウィンなのだから、二流のラヴェルになる必要などない」と断ったという逸話は有名。好ましい。
追記
CD8 《ドビュッシー:管弦楽作品集》バレエ「遊戯」/交響詩「海」/夜想曲
アルノルト・シェーンベルク合唱団[1999年]
続けてドビュッシーを聴いた。これも素晴らしい。
ラヴェル『マラルメの詩』、ドビュッシー『ステファヌ・マラルメの3つの詩』とあるようにラヴェル、ドビュッシーはマラルメと強い接点があったとのこと。
何を隠そう、私は高校時代マラルメの崇拝者で、大学も仏文科を選んだ者。(小さな心だったが)マラルメを専攻するつもりだった。マゼール/ウィーンフィル経由で、アラカン時にマラルメに再会!
ステファヌ・マラルメ(Stéphane Mallarmé, 1842-1898)は,ポール・ヴェルレーヌと並ぶフランス象徴派の代表的詩人。ロンドンへの留学経験もあり,もとは1864年から引退する1893年まで,トゥルノン,ブザンソン,アヴィニョン,パリで教鞭を執った英語教師が本職である。19才のときにシャルル・ボードレール『悪の華』(1857)を読んで感銘を受け,1864年に24才で『青空(L'Azur)』を発表。言語の日常性(意味や機能性)にとらわれることなく,語音のもつ音の響きを生かして特定の観念を示唆づける手法を探求し,詩の哲学性・音楽性を拡張。俗に【象徴派】と呼ばれるジャンルの探求にあけくれる。稀に見る完全主義者であり,自作は徹底して推敲する寡作家。1850年代から創作を続けていたにもかかわらず,あまりに婉曲的で難解な作風から,後年まで評価は得られなかった。しかし,1875年から世を去るまで,ローマ街の自宅で【火曜会】と呼ばれる集まりを主催。多方面にわたって進歩的な芸術家と交流。彼らに大きな影響をもたらす過程を通じて,やがて【象徴派】の中心的な存在と目されることとなる。各単語の大きさや改行形式までもが断片化され解体された,死の前年の詩集『骰子一擲(Un Coup de des Jamais N'abolira le Hasard)』(1897)は,その総括ともいえる内容となった。1898年9月9日パリにて死去。1865年に発表した『牧神の午後』が,ドビュッシー『牧神の午後への前奏曲』を生むきっかけを与えたのは有名である。
(http://museum.fc2web.com/ravel/composition/3_mallarme.html)
上記サイトから(勉学のため拝借させていただきます)、
「ラヴェルがクラランに来ている時,私は『日本の抒情詩』を弾いて聞かせた。
彼は繊細で手の込んだ楽器の響きに魅了され,精妙な技巧に興味を持った。
彼は直ちに夢中になり,同じような作品を書こうと決心した。
まもなく彼は,マラルメの詩によるすばらしい『詩』を私に弾いてくれた」。
(イーゴル・ストラヴィンスキーの回想文より)
ロラン・バルト「表徴の帝国」を思いだした(http://omg05.exblog.jp/11851700/)。
追記
「火曜日の会」
晩年のマラルメは文壇に大きな影響を与える存在になった。彼のローマ街のアパートは知的なサロンと化し、多くの文学者が出入りした。その中には、アンドレ・ジード、ポール・ヴァレリー、マルセル・プルーストといったフランスの一流の知性のほか、ウィリアム・バトラー・イェーツ、ライナー・マリア・リルケ、シュテファン・ツヴァイクらの姿もあった。このサロンは毎週火曜日に開かれたことから、「火曜日の会」 Les Mardistes と呼ばれた。(http://poesie.hix05.com/Mallarme/mallarme00.html)
リルケは私が高校時代尊敬していた詩人である(今でも崇敬している)。彼も火曜会に顔を見せていたことは知らなかった。当時ヴァレリーの「若きパルク」を(多分西脇順三郎訳で)読み、やはり崇敬の念を抱いたことを覚えている。
注文しておいた世界詩人全集10マラルメ・ヴァレリー詩集(訳:西脇順三郎、平井啓之、菅野昭正、清水徹)新潮社、が届いた。先日ヤオフクで落札。落札と言っても、入札即落札のケース。