I am that I am |
私の記憶違いでなければ、山頂付近で、モーセが名前をたずねたとき神が答えたとされるのが、”I am that I am”である。もちろんヘブライ語で神は答え、その英訳が”I am that I am”ということだろう。
私はこれをはじめに読んだとき、変わった英語だという感想をもった。たしかに、「私はジョンだ、マイクだ」風に答えたならば、「ジョン、君のお父さんの名前は?」とたずねられるから、そうならない言葉が選ばれたというのはわかる。
私が今日思いついたのは、”I am that I am”は「私は(that) I amという者である」という意味ではなく、”I am (so) that I am”ではないか、という可能性である。つまり、「私は在る、ゆえに私は在る」、言い方をかえれば、「私は在る」その理由は「私は在る」である、私が在るためには、たとえば「神が在る」や父母が在ること等を必要としない、私は自存存在、つまり神なのだ、と受け取る可能性である。
はるか後、デカルトは"I think, therefore I am"と言った。I am の根拠は神や教会等ではなく、"I think"であると述べたわけである。シナイ山での神の発言にあわせれば、”I think (so) that I am"となる。私の解釈では、デカルトの文は神の言葉”I am that I am”の一つの翻案である。
このところ、私は「入間様の伝承者」などと自称(僭称)している。ただでさえ怪しげであるところ、宗教学について完全な素人である。上の解釈のおかしさ、もしくは当たり前さをどなたか指摘していただけないだろうか。
(工事中)
追記(にわか勉強、ネット探検)
1.・・『旧約聖書』の出エジプト記3章14節に、意味不明とされる次の言葉があります。
אֶהְיֶה אֲשֶׁר אֶהְיֶה(エヘイェ・アシェル・エヘイェ)
これは、モーセに《神》がイスラエルの民を救い出すようにと促したとき、モーセが「ただ私がそれを言ったところで信用されません。どなたから言われたと答えればよいのでしょうか?」と質問した際に、《神》なるものが「こう申せ」と語った言葉です。
英訳では、"I am that I am" と書かれています。
ところが、日本語訳になったときに、これが「我は在りて有る者である」と訳されているのです。
在りて有る者? まったく意味不明です。実は、これは完全な誤訳なのです。
この本当の意味は、こうなのです。・・
(http://kizuki.rainbow-school.info/?eid=1160)
2.・・しばしばすべて大文字で記される I am は、旧約聖書の「出エジプト記」 Exodus で、神の名前を尋ねたモーゼに対して神が答えた言葉に由来するようだ。出エジプト記を見ると、モーゼの問いに対して、
- God said to Moses, "I am who I am."
(King James Version では "And God said unto Moses, I AM THAT I AM.")
とある。ここから、the Great I Am とすると、この「全能の唯一の神」を意味するほか、「偉ぶった人」、俺様は凄いんだ、といった態度を取る人のことも指すという。今回の Newsweek も、そういった意味で使っているのだろう。
ところで旧約聖書・ユダヤ教の神は、ふつう英語では Yahweh や Jehovah、日本語では「ヤハウェ 」「エホバ」 などというが、これは "I am who I am" の元のヘブライ語を英語のアルファベットで表した "YHWH" に由来するそうだ。
関係のない余談だが、漫画の「ポパイ」の決まり文句が "I yam what I yam." であった。・・
(http://eigo-kobako.blog.so-net.ne.jp/2006-11-24)
3. (Wikipedia) I Am that I Am (אֶהְיֶה אֲשֶׁר אֶהְיֶה, ehyeh ašer ehyeh [ehˈje aˈʃer ehˈje]) is the common English translation (JPS among others) of the response God used in the Hebrew Bible when Moses asked for his name (Exodus 3:14). It is one of the most famous verses in the Torah. Hayah means "existed" in Hebrew; ehyeh is the first person singular imperfect form and is usually translated in English Bibles as "I am" or "I will be" (or "I shall be"), for example, at Exodus 3:14. Ehyeh asher ehyeh literally translates as "I Am Who I Am." The ancient Hebrew of Exodus 3:14 lacks a future tense as modern English does, yet a few translations render this name as "I Will Be What I Will Be", given the context of Yahweh promising to be with his people through their future troubles.[1] Both the literal present tense "I Am" and the future tense "I will be" have given rise to many attendant theological and mystical implications in Jewish tradition. However, in most English Bibles, in particular the King James Version, the phrase is rendered as I am that I am.
cf.(Exodus 3:14) Then Moses said to God, "Behold, I am going to the sons of Israel, and I will say to them, 'The God of your fathers has sent me to you.' Now they may say to me, 'What is His name?' What shall I say to them?" God said to Moses, "I AM WHO I AM"; and He said, "Thus you shall say to the sons of Israel, I AM has sent me to you.'" God, furthermore, said to Moses, "Thus you shall say to the sons of Israel, 'The LORD, the God of your fathers, the God of Abraham, the God of Isaac, and the God of Jacob, has sent me to you.' This is My name forever, and this is My memorial-name to all generations.…
(New American Standard Bible)
* "I Am that I Am"という言葉は、『旧約聖書』の出エジプト記3章14節(Exodus 3:14)にあらわれる。
* 古代ヘブライ語では:אֶהְיֶה אֲשֶׁר אֶהְיֶה, ehyeh ašer ehyeh [ehˈje aˈʃer ehˈje])
* 直訳すれば、 "I Am Who I Am"
* 古代ヘブライ語には未来形なし。文脈から "I Will Be What I Will Be"と訳す人も少数だがいる。
* 大部分の英訳聖書(とりわけthe King James Version)では、I am that I amと訳される。
* キリスト教の伝統では神はしばしば”I Am" と呼ばれる。
モーセ率いるイスラエルの人々の中には、長い放浪生活に倦み、神に対する信仰から離れ、golden calfを祭壇に置き崇める者もでてくる始末だった。救いを求めモーセはシナイ山に登ったわけだが、神から教えを受けたはよいものの、下山した後、不信心の者たちから誰から教わったと尋ねられるのは必至とみて、あなたのことを何とお呼びすればよいのでしょう、と神の名を尋ねたわけである。それに対し神はあえて自分の名前を、I am that I am(もしくは"I Am Who I Am)であると明かし、罪を冒したイスラエルの民に対し変わらぬ愛情を示した。
とりあえずの感想:"I think, therefore I am"とデカルトが述べたとき、 ”I am”のキリスト教的用法を意識していた(視界の中にいれていた)ということは、間違いないと思う。
とりあえずのまとめ(12月24日)
I am that I am
『旧約聖書』出エジプト記3章14節(Exodus 3:14)にあらわれる
古代ヘブライ語では:אֶהְיֶה אֲשֶׁר אֶהְיֶה, ehyeh ašer ehyeh [ehˈje aˈʃer ehˈje])
直訳すれば、 “I Am Who I Am”
大部分の英訳聖書では、I am that I amと訳される
旧約聖書・ユダヤ教の神は、ふつう英語では Yahweh や Jehovah、日本語では「ヤハウェ 」「エホバ」 などという。これは "I am who I am" の元のヘブライ語を英語のアルファベットで表した "YHWH" に由来する
ユダヤ、キリスト教の伝統では神はしばしば”I Am" と呼ばれる
異説(入間何某説)
I am that I amは、I am (so) that I amの意味である
「私はある、ゆえに私はある」、言い方をかえれば、「私はある」その理由は「私はある」だけである、私があるためには、たとえば「神がある」「父母がある」等を必要としない、私は自存存在、つまり神なのだ
デカルトは「省察」において、“I think, therefore I am”と述べた。I am の根拠は神や教会等ではなく、“I think”であると述べたわけである。シナイ山での神の発言にあわせれば、”I think (so) that I am“となる。
デカルトの文は神の言葉”I am that I am”の一つの翻案である