哲学的ゾンビ(Philosophical Zombie) |
哲学的ゾンビが物理主義に対する反撃の切り札になるかについては疑問です。上で書いたように、意識の不在、「クオリア盲」があったとしても、物理過程の一部欠損でとりあえず説明がつきます。
反物理主義はどちらかというと劣勢の立場なので、それを補うためには多くのことをいわなければなりません。援軍なしの籠城戦という気もしますが、それだけに興味深い「戦い」が見られそうです。
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2018年 06月 24日
心の哲学におけるデービッド・チャルマーズの有名な思考実験 哲学的ゾンビとは、「物理的化学的電気的反応としては、普通の人間と全く同じであるが、意識(クオリア)を全く持っていない人間」と定義される。 意識現象は物理過程にすぎないと考える物理主義者(や機能主義者)は、哲学的ゾンビは存在しえないと言うだろう。意識の非在があれば、それは脳の一部にトラブルが発生したからだ、と言うだろう。反物理主義者はその反対を主張する。つまり、哲学的ゾンビは存在しうる。物理過程が同じでも異なる意識が成立しうる、とくに「ゼロ意識」もありうる。意識は物理過程に解消されない。 哲学的ゾンビは論理的には存在しうるだろう。しかし、それはいわば当たり前で、何か意味のある命題がそこから導かれそうにない。 物理主義(機能主義)と反物理主義(反機能主義)の対立を定義、際立たせる思考実験と見るのが穏当。 Chalmers, D. (1996): The Conscious Mind, Oxford University Press, New York.
by omg05
| 2018-06-24 19:03
| phil.anthropology
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Comments(2)
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k
at 2018-07-05 10:55
x
哲学的ゾンビについて検討する意義は、ずっと不明でした。チャーマーズを読んでいないこともありますが。今のところは、物理主義と反物理主義の間で、心身因果や意識の説明に関する立証責任がどちらにあるかについてのものであると理解しています。一般的には、物理学の説明的成功から、物理学の措定しない存在者や原理を認めることは難しく、物理学からはみ出るような主張をする場合には、反物理主義者の方に、そうした主張をする立証責任があると思われます。ところが、反物理主義者は哲学的ゾンビを持ち出すことで、このゾンビが生じないことを立証する義務が物理主義にある、と論じたいのかな、という理解をしています。反物理主義が物理主義に対して反撃する切り札のようなイメージです。その理解で適切でしょうか。
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omg05 at 2018-07-06 15:04
ご指摘のように、立証責任の多くは反物理主義者の側にありそうです。物理主義者はつねに、自分は原則的な話をしている、現時点で不明な点もいずれ説明がつくようになる、時間とともにこの立場の成功事例が多くでてくるのは間違いいない、と構えていられます。
哲学的ゾンビが物理主義に対する反撃の切り札になるかについては疑問です。上で書いたように、意識の不在、「クオリア盲」があったとしても、物理過程の一部欠損でとりあえず説明がつきます。 反物理主義はどちらかというと劣勢の立場なので、それを補うためには多くのことをいわなければなりません。援軍なしの籠城戦という気もしますが、それだけに興味深い「戦い」が見られそうです。
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