Analytic philosophy(分析哲学)という名前に少々疑問があり、少し調べてみた。
Wikipediaは、
分析哲学(Analytic philosophy)は、ゴットロープ・フレーゲとバートランド・ラッセルによる論理学(数理論理学)研究及び言語哲学研究の成果に起源を持ち、ラッセルの教えを受けたルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインの言語哲学研究、及びウィトゲンシュタインの思想に対する誤解を含めて彼から多大な影響を受けた論理実証主義の受容とそれに対する批判、日常言語学派の発展と影響の拡大などの歴史を経て形成された現代哲学の総称である。なお広辞苑によれば、分析哲学の主唱者はジョージ・エドワード・ムーアである。
と説明している。Analytic Philosophyという名称を誰が最初に使ったのか興味があって、Britanica.comものぞいてみた。そこでは、
Analytic philosophy, also called linguistic philosophy, a loosely related set of approaches to philosophical problems, dominant in Anglo-American philosophy from the early 20th century, that emphasizes the study of language and the logical analysis of concepts. Although most work in analytic philosophy has been done in Great Britain and the United States, significant contributions also have been made in other countries, notably Australia, New Zealand, and the countries of Scandinavia.
とAnalytic philosophyを導入していた。Analytic philosophy, also called linguistic philosophyはやや意外。言語哲学ということばで分析哲学をさす場合があるということだろう。その場合の「言語哲学」は分析哲学のこと。ここでも、AnalysisをG.E.ムーアが強調したと書かれている。
分析哲学がヘーゲル絶対的観念論(およびその系譜をひく哲学)との対決から成立したことは広く知られている。今日分析哲学に対し「大陸哲学」という語が対置されることが多いようである。ただ、語の意味からすれば「綜合哲学」(Synthetic philosophy)が分析哲学の対置語としてよりフィットするように感じられる。ヘーゲル風綜合哲学に対するアンチテーゼとして分析哲学がムーアやラッセルらの仕事を通して生まれ、第二次大戦以後英語圏の哲学の主流になっている、という言い方である。いや、分析哲学も綜合をやるよ、ヘーゲル風哲学を綜合哲学と呼んでは、そうでない印象を与えてしまうから、あえてそう呼ばないだけだ、ということかもしれない。何を言いたいかというと、ヘーゲル流哲学は綜合哲学ですな、ということ。
私はこのところ哲学をadventures of ideasと定義している。観念の冒険と定義すると、当然綜合哲学がその圏に入ってくる。私は分析哲学の研究者であり(哲学的研究の手法として分析的手法の信奉者)、あくまでその立場からであるが、観念の冒険に興味がある。
(工事中)