底なし沼からの脱出法 |
われわれの行う主張の根拠を問題にしはじめると、根拠づけの無限遡行に陥る。
この無限遡行を底なし沼にたとえるのは自然だ。
何の因果か、バロン・ミュンハウゼンがそれにはまった。
脱出したい。
バロンはどうするか。
溺れる者はわらをもつかむ。
沼のそばにあった古イス(一緒に溺れている人でもよい)をつかんで、それを踏み台に脱出する。
または、
自分の髪(またはブーツのひも)をひっぱって脱出する。
助けてくれる人が外にいない限り、これらの方法しかなさそうだ。
たとえてみれば、前が基礎づけ主義、後が斉合主義か。
(斉合主義は、信念をまわりまわって自分自身を使って救う。)
映画のなかのバロン・ミュンハウゼンは、後の手を使って底なし沼から脱出できた。
しかし、ほんとうにそれで脱出できるか?
脱出できると言うのはバロン以外いまい。
とはいえ、基礎づけ主義より斉合主義のほうが有望にみえる。
しかし、自分の髪(またはブーツのひも)をひっぱって脱出する、のとどうちがうのか?